創世記47章

創世記47章      手際のよいヨセフ

この章は、家族とパロとの関係を整え、王の支配を確立するために政策を果敢にやり遂げた手腕家ヨセフを描いている。ヨセフが、ヒクソス人の王に仕えたのであれば、そののち支配権を奪還したエジプト人王朝の下で、イスラエルが反動的に圧迫されるに至った事情が頷ける。

Ⅰパロとヤコブの会見

ヨセフは細心の注意を払って、パロと父兄たちとの会見の根回しをした。兄たちとは、パロとの会見の場でなされるであろう問いを想定して、既に準備した(46:32-34)このような配慮の背景には、民族と職業に関する根深い蔑視があったからである。

相互に良い関係があるときには、本質的な解決とは言えないまでも、差別や偏見を乗り越えているかに見える(もちろん、制約の中でのことである)しかし、この問題は、一度こじれると修復するのは至難である。ヨセフの心配りが周到を極める所以ではないか。

パロは、ヨセフを信頼しているのでヤコブ一族のために助力を惜しまなかった。パロは、個人的にもヨセフの家族に多大な興味を抱いたことであろう。しかし、ヨセフ自身のように、心をときめかせていたわけではない。彼には、多くの関心ごとの一つに過ぎないのである(権力者は退屈で気儘な者)

ヨセフは五人の兄弟を伴い、パロとの会見に臨む。

五はエジプトの吉数だと言われる。それ故、五が繰り返されるのは偶然ではない(43:34、47:26)パロは真っ先に訊ねる「あなたがたの職業は何か」と(儀礼的なものか、或いはこれまで無関心)

この時、パロはたいへん機嫌が良かった。ヨセフに向かって「エジプトの地はあなたの前にある。最も良い地にあなたの父と兄弟たちとを住ませなさい。彼らはゴシェンの地に住むようにしなさい。もし彼らの中に力のある者がいるのを知っていたら、その者を私の家畜の係長としなさい」と、好意的な命令を下した。

パロにとって、ゴシェンの地は肥沃な地というにすぎなかったであろう。しかし、いつの日か、帰還を願うイスラエルにとって、ゴシェンは約束の地に近く(出口に近い)地の利を得ていた。ヨセフの知恵と大胆な計画の結果である。

また、パロはヨセフを信頼したように、その兄弟たちにも期待するところがあった(信頼を見せた)それで「その者を私の家畜の係長としなさい」と命じた。

舞台はパロの荘厳な王宮である。エジプトに君臨するパロと、日々の食物さえ依存しなければならない男たちが向かい合っている。彼らはパロの前で辞を低くして「あなたのしもべども」と、自らを卑しめる。ここまでは、古今東西、どこでも見られた光景である。しかし、事柄の成り行きは、ヨセフの筋書き通りに進行している。こうして、最後にヤコブが登場する。

「ヤコブはパロにあいさつした(ワイバーレク)」

「あいさつした」と訳された言葉は、直訳すると、ヤコブがパロを祝福したと読むことができる。ヤコブが初対面のパロを祝福するのは、いかにも僭越である。そこで、挨拶となったのであろうか。形としては、王の前に跪いたのかもしれない。翻訳としてはこれで良いと思う。

ヘブル書の著者は、メルキゼデクがアブラハムを祝福した故事を取り上げて「いうまでもなく、下位の者が上位の者から祝福されるのです」(ヘブル7:7)と論じている。

創世記の著者が、ここでバーラクを用いたのは意味のあることに違いない。立場や状況は、ヤコブに祝祷する機会を与えなかったが、彼の心意気はパロを祝福する(余談だが、これまで、祝福は基本的には神から人に与えられた。しかし、ヤコブ物語においては、晩年のヤコブは祝福を撒き散らす。祝福の大盤振る舞いと言ったら語弊があるだろうか。とにかく祝福の奥義を悟ったらしい)

パロは年長のヤコブに敬意を払い「あなたの年は、幾つになりますか」と訊ねる。ヤコブは「私のたどった年月は百三十年です。私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月には及びません」と答えた。

ヤコブは過ぎ来し方を省みたのであろうが「わずかで、ふしあわせ」とは、些か気になる。

しかし、否定的に捉える必要はない。愚痴ではあるまい。偉大な先祖に比して、遠く及ばない自分を表現したものであろう。ヤコブの生涯は波瀾万丈であり、神の恵も鮮やかであった。

こうして「ヨセフは、パロの命じたとおりに、彼の父と兄弟たちを住ませ、彼らにエジプトの地で最も良い地、ラメセスの地を所有として与えた」

Ⅱヨセフの行政手腕

「飢饉が非情に烈しかったので・・・」

ヨセフは極めて有能な行政官としてパロに仕えた(ヨセフには、小事に仕える真髄を見せられる)エジプトとカナンに銀が尽きたと思われるほど「ヨセフはその銀をパロの家に納めた」それでも、食物を求める人々には「あなたがたの家畜をよこしなさい。銀が尽きたのなら、家畜と引き替えに与えよう」と交換条件を持ち出す。

翌年には、人々は自発的に「食物と引き替えに私たちと私たちの農地とを買い取ってください。私たちは農地といっしょにパロの奴隷となりましょう」と申し出る「それでヨセフはエジプトの全農地を、パロのために買い取った」

その是非はともかく、こうして、ヨセフはパロのために、強力な中央集権国家を作り出すことになる。後に、主イエスが言われたように、ヨセフは小事に忠実であることから始めて、信頼され尊敬されるリーダーとなった(ルカ16:10)

「ただ祭司たちの土地は買い取らなかった。祭司たちにはパロからの給与があって、彼らはパロが与える給与によって生活していたので、その土地を売らなかったからである」

いつの時代にも例外がある。神社仏閣には寄進が多い。それは、常に特別な保護の下に置かれた。しかし、イスラエルの律法は、祭司の部族とされたレビ族が土地を所有することを許さなかった(申命記18:1-2)その裏づけには、主ご自身が相続地という考えがある。けれども、律法はいつしか形骸化し、その精神さえも見失われるのは毎度のこと(使徒の働き4:36-37)

「収穫の時になったら、その五分の一はパロに納め、五分の四はあなたがたのものとし、畑の種のため、またあなたがたの食糧のため、またあなたがたの家族の者のため、またあなたがたの幼い子どもたちの食糧としなければならない」

五分の一は20%、2割である。近代日本の小作料は五分の三(60%)にも及んだ。被差別部落などでは、その割合はさらに過酷であった。また、凶作の年にも上納米が優先され、後には何も残らなかった場合がある(相模の覇者となった北条早雲は40%で慕われた)

こうして、ヨセフはパロのために、銀を集め、家畜を集め、土地を集め、人を集めた。

Ⅲヤコブの求めるもの

「イスラエルはエジプトの国でゴシェンの地に住んだ。彼らはそこに所有地を得、多くの子を生み非常にふえた」

しかし、ヤコブは自分の死期の近いのを知り、ヨセフを呼び寄せ誓いを交わす。

「愛と真実を尽くしてくれ」と念を押す。

ヤコブが求めたのは「どうか私をエジプトの地に葬らないでくれ」という一事であった。この言葉は、後年、ヨセフによって繰り返されている(50:24-25、ヘブル11:22)

ヤコブは、ヨセフの父として、エジプトで王侯のような待遇を受けたと思われるが、彼はそれで満足したわけではない。彼は「先祖の墓」に葬られる事を願う。ヤコブにもまた、アブラハムやイサクのように、墓を通して、その前方に広がるものが仄かに見えてきたのであろう(ヘブル11:13)

「イスラエルは床に寝たまま、おじぎをした」

この前後関係から読むなら、ヤコブの願望を受け止めて、誠実に誓ったヨセフの好意に対する感謝と考えられる。しかし、ヘブル書の記者は、ヤコブの信仰生涯を記念するのに、この一事をもって要約する。即ち「自分の杖のかしらに寄りかかって礼拝しました」(ヘブル11:21)と。礼拝は、決してヨセフに向けられたものではない。新約聖書は、そのように理解している。