創世記36章

創世記36章           エサウの歴史

この章は「エサウ、すなわちエドムの歴史である」

エサウの奔放な結婚は、数多の民族と関わりを持つに至った。従って、彼の子孫たちが拡散していった領域を確認する事は容易ではない。とにかく“よくぞ、このように詳細な家系図が保存されたものだ”と、先ず感心させられる。

ところで、エサウはイサクの長子であったが、既に、アブラハム契約の直接の継承者から外されている。従って、彼と彼の子孫に対する私たちの関心も薄い。今日の読者一般には、興味の対象にもなりにくいであろう。

エサウの系図は、私たちに馴染みの少ない名前や地名で埋め尽くされている。それにも拘らず、創世記の著者が、エサウの系図を丹念に調べ上げて、かくも詳細な記録を残した意義はどこにあるのだろうか。この無味乾燥とも見える、退屈な記録の目的は何か。

イシマエルの歴史(25:12-18)と同様に考えたらよいであろう。創世記の著者は、救いの歴史に直接関わらないイシュマエルの子孫も記録に残している。エサウの歴史も同様である。それは、繰り返される必要はないと思われるが、Ⅰ歴代1:35-54にも再録されている(創世記著者の時代よりも、エドムとの関係が遥かに不穏であるにも拘わらず)この系図が記録されているのは、彼らもアブラハムの祝福の下にあることの記念碑的証言ではないだろうか。

主イエスは、ツロ・フェニキヤの女性に「わたしは、イスラエルの家の滅びた羊以外のところには遣わされていません」(マタイ15:24-28)と言われた。これは、主イエスの大義名分であったが、信仰や慈悲が働く余地は残されていた。女の言い分を聞いた主は「ああ、あなたの信仰はりっぱです。その願いどおりになるように」と賞賛の辞を惜しまなかった。

イエス様と弟子たちの宣教が、初めから全世界を視野に置いていたことは明白である(主は、弟子たちにそれを理解させるために、ご苦労なさったが・・・マタイ25:32、28:19-20、使徒1:8)

全世界という概念は、新約聖書で突然出てきたものではない。アブラハム契約は、初めからそれを考慮している。旧約の歴史観は、メシヤの到来に向かって収斂していくが、彼らは、メシヤから全世界(当然異邦人を含む)の救いへと無限に展開していくことを知っていた。

しかし、預言者たちは例外としても、歴史的イスラエルは異邦人を眼中に置かなかった。聖書の著者たちは、そのような逸脱の危険を常に感じ取って、神の恵を先取りしてきたのではないだろうか。それ故、エサウの歴史は、神がエサウの子孫にも「どんなに恵み深いか」と言うことを、証言しているように考えられる。

エソウの子孫は、歴史的にはイスラエルの子らと抗争が絶えない。しかし、聖書を開けば、神がエドム人を忘れていない事を思い出させられる。現実には、彼らは友としてではなく、敵として立ちはだかってくるのであるが、その役割は砥石のような役割も果たしている(士師記の周辺民族など)

“論語読みの論語知らず”と言われる。旧新約聖書は、歴史的に公平に読まれてきたであろうか。異邦人問題、ユダヤ人問題、アラブとイスラエルの関係、大いに疑義があるのだが・・・。

エサウの移住

1、エサウは、弟ヤコブから離れて移住した(13:8、21:14、25:6)エサウが、弟ヤコブとの確執を捨て、平和的な共存を図るために選択した知恵である。その背後に神の祝福がもたらす必然的動因)

2、セイルの山地(ヤコブが帰還する以前に、予備的な移動が始まっていたと考えられる33:16)

3、エドム人の祖(25:30)となる。後の時代には、エドム人の名で知られる。

エサウの妻と子ら

1、ヘテ人エロンの娘・アダ(26:34、バセマテ)

2、ヒビ人ツィブオンの子アナの娘・オホリバマ(26:34、ヘテ人ベエリの娘エフディテ)

3、イシュマエルの娘ネバヨテの妹バセマテ(28:8、イシュマエルの娘・マハラテ)

伝承に混乱があるのはやむを得ない。しかし、修正して統一する試みはない。そこに意味がある。聞き覚えのある名前がある(アダ、エリファズ、アマレク、テマン)いずれも古い時代の名である。以下、いくつかの名前について考察してみたい。

エリファズ(4)やテマン(15)の名は、ヨブ記の中に「テマン人エリファズ」(2:11)として登場する。テマンは、ボズラとともに、後年エドムを代表する都市となる(アモス1:12)わけてもテマンは、その知恵によって知られていた(エレミヤ49:7)すると、ヨブ記の背景には、エドムがあったのではなかろうか・・・と、思いは飛翔する。

ティムナ(12、22)

これは、エリファズのそばめの名である。エサウの妻以外の名は省略されている系図の中で、取るに足らないそばめの名が記録されている理由は何か。小生は、ティムナがアマレクの母であったからだと考える。アマレクの名は、出エジプトに際して、長く深くイスラエルに記録されることになった(出エジプト17:11、14-16、民数記24:20)その出自が問われたのは当然である。

エドムの首長たち

エサウの子らは、山野を駆けめぐったエサウに似て、勇猛な戦士たちとなった。わけても、アマレクの名は、イスラエルの宿命的対決者として知られている。

アマレクについては諸説がある。既に、アブラハム時代に存在したとの主張がある(創世記14:7)しかし、その名称が、執筆者の時代に知られていた地名で書かれていた可能性はある。

また、民数記24:20「アマレクは国々の中で首位のもの」を、最古の民族と翻訳することも可能である(口語訳、新英訳)しかし、民数記の引用は、バラムの詩の1節であり、逐語的な意味を持つとは言えない。小生は、前述の理由で同一と考える。

31-40節の記録は「・・・が死ぬと、代わりに・・・」と言う表現を7回繰り返している。イスラエルの士師時代に似ているように見えるが、禅譲なのか簒奪なのかは明らかでない。とにかく、王は世襲ではなく、一代限りとして君臨していたらしい。これが、意図的になされたのであれば、見事な政治的知恵、洞察と言えよう。

因みに、古代中国の伝説的賢帝たち、尭帝や舜帝は、不肖の子に帝位を継がせることを避けた。尭は舜に託し、舜はウに譲った。

ローマ帝国の五賢帝(1世紀末から2世紀にかけて、ネルヴァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニウス・ピウス、マルクス・アウレリウスと続く)彼らには子がないこともあったが、帝位の継承を政争の道具にしなかった。哲人皇帝マルクス・アウレリウスが、愚息に継がせてローマの屋台骨を揺るがせることになった。

今日、私たちは世襲制の弊害を危惧する。近代国家を自負するが、政治家達は殆んど世襲である。聖書の歴史では、連綿と続くことが尊重されてきた。後の北イスラエルが王位継承で殺戮を重ねてきた歴史は、批判的に受け止められている。

温泉の発見

「アナは、父ツィブオンのろばを飼っていたとき荒野で温泉を発見した」

温泉は、ラテン語訳に起源を持つので懐疑的に受け止められてきた。温泉を「毒蛇」と読み変える可能性があると言われる。しかし、野で毒蛇に遭遇することは、特筆すべきことであろうか。そうは考えられない。ラートはシリヤ語訳に基づき「水」と訳すが・・・。

これも、エサウの妻となったオホリバマの出自を語るエピソードと考えるなら、温泉が恰好ではないか。

温泉なら、一大発見である。長野県に“鹿教湯温泉”あり。鹿に教えられたそうである。すると、これは、さしずめ“驢馬教温泉”か。仮に、特別な効果がなくても、湯に浸かれるなら、疲れを癒される。