創世記33章

創世記33章      エル・エロヘ・イスラエル

不幸な別れをした兄弟が20年振りに再会する。ヤコブは、エサウと家の子郎党400人が近づいて来るのを見た。先には(32:6-7)報告を聞いただけで心を騒がせたが、今や再会の準備は整っている。「ヤコブ自身は、彼らの先に立って進んだ」彼の決意を物語る記述だが「女奴隷たちとその子どもたちを先頭に、レアとその子どもたちをそのあとに、ラケルとヨセフを最後に置いた」という表現は、読者に何事かを示唆している。この順番を可能にする唯一つの推測は、万一に備えたものであろう。神は、自己中心なヤコブと憎悪にかられて殺意を抱いたエサウ(27:41)に平和を賜った。

Ⅰ兄と弟

「兄弟は苦しみを分け合うために生まれる」(箴言17:17)と言われるが、骨肉の争いは熾烈を極める。人々は「反抗する兄弟は堅固な城よりも近寄りにくい」(箴言18:19)ことを知っている。最初の兄弟カインとアベルの物語は“本来あるべき関係と人間の現実”の落差を見せつけた。

「ヤコブ自身は、彼らの先に立って進んだ」(32:20)

戦場で陣頭に立つ指揮官がおり、背後で激を飛ばす者がいる。それぞれのやり方があるのだろう。一概に是非は言えない。しかし、もし、恐れて後方に退いているのであれば、全軍の士気は衰える。これまで後方に引っ込んで様子見をしていたヤコブが、今や、先頭に立って進む。ヤコブ一家を安堵させ、行軍を活気づかせたであろう。

「ヤコブは、兄に近づくまで、七回も地に伏しておじぎをした」

恐るべきエサウの前に、恭順の意を示したのである。兄弟と言う平等の権利を放棄して、わが身を兄エサウに委ねる決意を示した(煮て食おうが、焼いて食おうが御随意にということか)諺に“身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあり”と言うが、それは保障の限りではない。それ故、人は容易に潔くなれない。“藁にも縋る”思いで、逃げ延びる方策を求める。ヤコブを潔くしたのは、ヤボクの渡しで経験した神との出会い、イスラエルという改名であろう。

「エサウは彼を迎えに走って来て、彼をいだき、首に抱きついて口づけし、ふたりは泣いた」

聖書の中でも、屈指の感動的場面である。イエス様の例え話の一場面、放蕩息子を走り迎えた父の原風景を見る思いがする。走り迎えたのはエソウである。

ヤコブはエサウに家族を紹介し、互いに挨拶を交わす。ヤコブからエサウへの贈り物も差し出される。これは、しばらく前までは、エサウの心を懐柔するための賄賂に過ぎなかった。8節の「あなたのご好意を得るためです」と、32:5の「ご好意を得ようと」という言葉使いには、天地ほどの意味の違いが見い出される。

「私はあなたの顔を、神の御顔を見るように見ています。あなたが私を快く受け入れてくださいましたから」これは一片の世辞ではない。ヤコブの心は、感動に慄いたのではないか(20年前、小生は北秋津キリスト教会の会堂建築の折、今は亡き新井氏の言葉“地代と家賃の両方は払えねえべ”を耳にして、同様の感動を覚えたことがある)

エサウとは「俗悪な者」(ヘブル12:16)と、切って捨てられる傾向があるが、この時、ヤコブの目に映ったエサウの顔は「神の御顔」を偲ばせるものであった。

人は本来「神のかたち」に造られたのである。堕落した人間は利己的な罪人に違いないが、時にはエサウのように、こんなにも美しくなれるものなのである。しかし、私たちは、相手の美しさを引き出すのが苦手である。なぜだろうか。自分のフィルターを通して見ることに慣れているからではないだろうか。そして、時には、神さえも誤解する(Ⅱサムエル22:26-27)

兄エサウの心遣い

エサウは「ヤコブがしきりに勧めたので」贈り物を受け取り、声をかける。

「さあ、旅を続けて行こう。私はあなたのすぐ前に立って行こう」と、さながら、案内人のような心配りを見せる。エサウは少年の頃、ヤコブと一緒に駆け巡った日々を懐かしく思い起こしたのではないだろうか。弟ヤコブと一緒にいることを喜んでいるエサウの言葉である。

兄エサウと和解が叶ったヤコブは、いつもの冷静な男に戻っている。ヤコブは縷々理由を述べて、エサウの申し出を丁重に辞退する。ここにもヤコブらしさが見える。

人は、状況によって“断りきれない”という。その結果、自分と周囲に無理を強いることになる。その結果、時には修復困難な歪を残すことにもなる。

“シガラミ(柵)”という言葉は、道理を引っ込めさせるほど、大手を振って歩くが、願わくは解放されて真の自由を生きるものでありたい(蛇足だが、これは、自己犠牲を惜しむとか、他人に譲歩しないと言うことではない。知恵と勇気が求められる決断である)

この時、ヤコブは「子どもたちは弱く、乳を飲ませている羊や牛は私が世話をしています。一日でも、ひどく追い立てると、この群れは全部、死んでしまいます」と案じた。

ヤコブはさらに「私の前に行く家畜や子どもたちの歩みに合わせて、ゆっくり旅を続け」と言う。ます群れの中の弱いもの(人であれ、家畜であれ)に目を留めたヤコブは、紛れもなくプロの羊飼いと言えよう。

このような羊飼いの配慮と心得が蓄積されて、ダビデに「主は、私の羊飼い」と歌わせる境地が開かれたのではないだろうか。もちろん、いつの時代にも、雇われ者根性の羊飼いは絶えたことがない(エゼキエル34:1-10、ヨハネ10:12-13)が、それは論外である。

イザヤも美しい光景を描写している「主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く」(イザヤ40:11)

日本の教会は、開拓途上の教会が多い。その形成も容易ではない。どうしても、独立・自給を急がせられる。成功至上主義が入り込んでくる危険がある。その結果、弱者は後回しになる。

こうして「エサウは、その日、セイルへ帰って行った」

この表現は、エサウが既にセイルに住み着いていたことを伺わせる(32:3も参照)が、36章6-8節の補足によれば、本格的にセイルに移動したのは、ヤコブに対する配慮の結果であったらしい。

Ⅱヤコブの礼拝

ヤコブの故郷への帰還は、彼の営みが正常な軌道に乗ったと言える。彼がパダン・アラムを出た時は、密かに、足早な逃避であった(おそらく強行軍であったろう)。ラバンの家では、狡猾な叔父の監督下に置かれ、帰途に着くとエサウが立ちはだかっているように見えて両面作戦、前に歩んでいるのだが、いつでも引き返せるように緊張していた。しかし、自分が原因であった最大の問題を平和のうちに乗り越えることが出来て、ついにペースが整ったのである。ヤコブは手始めに、シェケムの手前で、天幕を張る土地を入手した。

「彼はそこに祭壇を築き」

祭壇建設が何を意味するか、私たちは既に見てきた(8:3、12:7,8、13:18、26:25)ヤコブの生涯は、父イサクに比べると、はるかに波乱万丈である。しかし、これまで、ヤコブによる祭壇建設は見られなかった。この時が、ヤコブ生涯で始めての祭壇である(35:7)これは、ヤボクの経験とエサウとの和解によって導き出されたものと考えてよい。

その証は、祭壇の命名にある。彼はその祭壇を「エル・エロヘ・イスラエルと名づけた」直訳すると「イスラエルの神が神である(神を神とする)」イスラエルをヤコブと置き換えてみると「ヤコブの神が神である」となる。これは、ヤコブ(イスラエル)にとって「私の神の他に神はない」と言う告白と同義ではないか。ここでも重要なのはイスラエルと改名されたことである。

さらに、ヤコブがイスラエルと改名された状況を顧みる。ヤコブは郷里に帰って来たが、エサウとの問題を克服しなければならなかった。贈り物を用意し、万一のために逃げ道も確保した。あの手この手を用い、知恵や才覚を働かせて難局を乗り越えようとしたのである。しかし、夜の間の平安さえも得られず、神に縋って祈り、祝福を受けた。その時確信したのは「イスラエル」即ち「神が争う」と言うことであった。

ヤコブは、代わりに「争ってくださる神」に委ねて、兄エサウと和解ができた。

「エル・エロヘ・イスラエル」この告白は、ヤコブの遍歴の集大成と言えないか(士師6:24)