創世記32章

創世記32章           家路をさして

神の定めの年季があけて、20年振りに帰途についたヤコブの心境は如何に。幾度も報酬を変えられ不正な仕打ちを受けたヤコブは、主が許してくださった帰国をどんなに喜んだことか。しかし、望郷の念とは裏腹に、故郷の家が近づけば、今まで年月に覆われていた事柄が思い出される。懐かしい思い出ばかりではない。古傷も思い出させられる。

小生には、放蕩息子の父が遠くから走り迎えたのは、息子の足が躊躇いがちになり、逡巡する様子が見えたからではないかと推測する。和解に謝罪が求められるのは当然のことであるが、それを困難にしている理由の一つは、加害者側の自己嫌悪と不面目と恐れにあるのではないだろうか。

それ故、真の和解は、被害者側が胸襟を開いて抱擁してくれる時、呼び起こされるのではないだろうか。少なくとも、神と人との和解においては、侮られた神が先に近づいてくださった。

Ⅰ神の使いの顕現

「神の使いたちが彼に現われた」ヤコブは彼らを見たとき「ここは神の陣営だ」と言って、その所の名をマハナイムと呼んだ(詩篇34:7)

この命名は興味深い。ヤコブが我が家を出立した時、神は彼に幻を見せてくださった。その時、彼は感動して「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ」と手放しで喜んだ。

しかし、今、彼の発した言葉は「神の陣営(マハネ)」である。陣営という語が彼の心を反映していると見るなら、彼の心は戦時下にある(詩篇18:25-26)と言えよう(エサウ問題が未解決)

確かに、主はヤコブに恵み深い(詩篇46:7)しかし、私たちは、無条件でヤコブに加担してはならない。彼から発して、彼が今なお抱えている問題を、無条件で棚上げしてはならない。実際、この章は、ヤコブの内なる葛藤、戦いの物語として描写されている。

Ⅱヤコブの画策

ヤコブは、兄エサウに使者を送る。その口上は「あなたのご好意を得ようと使いを送ったのです」に極まる。そして、使者が戻り、エサウの出迎えの様子を報告する。

著者は、エサウの心中を明かしていない。ヤコブならずとも、私たち読者も緊張が強いられる場面ではないだろうか。

最後に見た兄の憤怒の形相が眼に焼きついている。兄を思うたびに、その怒りと憎しみの表情が思い出される。エサウと400人の郎党の接近に「ヤコブは非常に恐れ、心配した」

ヤコブは臨機応変、いつでも、どこでも、何事にでも対応できる能力を持っていると見受ける。彼は直ちに、最悪の場合を想定して備える(これも、いかにもヤコブらしい知恵)

彼は、群れを二つに分け「たといエサウが来て、一つの宿営を打っても、残りの一つの宿営はのがれられよう」と密かに思う。

そして、祈る「私の父アブラハムの神、私の父イサクの神よ・・・どうか私の兄、エサウの手から私を救い出してください」と。珍しい光景である。

ヤコブは、これまで、数え切れないほど問題に直面してきた。しかし、彼が問題解決のために祈る姿を、私たちは、ついぞ見たことがない。ここでは、先にあらゆる手を尽くしたのであるが、それでも平安が得られず、追い込まれるように恵の座・祈りの場に座したのではないだろうか。まさに「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう」(詩篇50:15)ということか。

そして、兄を懐柔するために贈り物を用意する。それは、膨大な数の家畜である(550頭と言われる)その家畜によって距離を設けたか。その口上は「あなたのしもべヤコブのものです。私のご主人エサウに贈る贈り物です」と言わせる。

人は“人事を尽くして、天命を待つ”と言う。ヤコブには、そのような潔さもない。

どこかで割り切れるものがなければ、一つの事を体裁よく成し終えたとき、次の心配が入り込んでくる。彼には、諦めない一面があるが、決して心を安んじることはできない。

幸いなことに、たとえ遠回りしても、ヤコブは神の前に出る事を知っていた。

Ⅲ眠れぬ夜・徹夜の格闘

「ヤコブはひとりだけ、あとに残った」

その日、ヤコブは可能な限りの手を尽くして、妻子にヤボクの渡しを渡らせ、一人になった。

彼は、家族に不安を与えまいと懸命にがんばっている。いつも賑やかな大家族の家長として、みんなの真ん中に所を得ているヤコブではあったが、今は退いて神と対決する外ない。

一人で郷里を出た男が、今は大家族と大きな所有を携えて帰途についたのであるが、最後の最後に「ひとりだけ、あとに残った」のは、示唆に富んでいる。これは“人は、時には、一人で通らなければならない道がある”と、語っているかのようだ。

「ある人が夜明けまで彼と格闘した」

一人残ったが、いたずらに一人で悲しむためではなかった。ヤコブは眠れぬ夜を過ごしたが、それは、ある人と「夜明けまで格闘」することであった。この方は、ただ一人、ヤコブを祝福することの出来るかたである。

格闘の激しさは、ゲッセマネのイエス様の祈りの姿と重なり合う。ルカは「イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた」と描写した(ルカ22:44)

「その人と格闘しているうちに、ヤコブのもものつがいがはずれた」と言われる。それでも、ヤコブは縋りつき「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ」と執拗である。これは、ヤコブらしさが、最善の形で発揮された場面ではないだろうか。

ヤコブの故事は、預言者ホセアによって引用される「彼は母の胎にいたとき、兄弟を押しのけた。彼はその力で神と争った。彼は御使いと格闘して勝ったが、泣いて、これに願った。彼はベテルで神に出会い、その所で神は彼に語りかけた」(ホセア12:3-4)と言われている。

Ⅳヤコブの改名

「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ」とヤコブが答えると、その人は「あなたの名は何というのか」と尋ねる。彼が「ヤコブです」と返事(告白)をすると、その人は「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ」と言われた。

これが、ヤコブがイスラエルと改名した経緯である。それは、祝福を求めるヤコブに対して、神の恵の応答であった。

イスラエルとは、サラ(争う)に由来すると言われる。それは、神が争う(戦う)と考えることを可能にする。顧と、彼の人生はこれまで、全身全霊を傾けて争い続けてきたものであった。障害物があれば、なぜそこにあるかを問う前に、取り除け始めるヤコブであった。闘争と勝利の経歴は、自己過信に導くが、自己破産こそ、神に生きる道である。

神は言われる。今後は、わたしが争うと。この改名は、アブラハムの改名よりも記念的である。しかし、イスラエルの子らは、過酷な歴史的試練を経て、今日、自ら報復する者に成り下がった。ホロコーストの民族的経験は悲痛なものであるが、彼らが平和の使者になるのでなければ、真の平和を造りだせる器はないように思うのだが・・・。

ヤコブは、この場所を「ペヌエル」と呼んだ「私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」という経験に基づくものである。



「イスラエル人は、今日まで、もものつがいの上の腰の筋肉を食べない。あの人がヤコブのもものつがい、腰の筋肉を打ったからである」との伝説・習慣が生れた。昨今では、どのようにしているのだろうか。もし、腰の筋肉を食べないのであれば、その起源を想起して欲しい。