創世記25章

創世記25章           イサクの家庭

Ⅰアブラハムの晩年

アブラハムの生涯は、イサクの誕生、サラの死、イサクの結婚で終焉を迎えたかに見えたが、新たな発展(と言えるか否かは知らぬ)があった。彼は、ケトラを妻(イッシャー)に迎えて、6人の子を儲ける(6節はピレゲシを用い、そばめと訳出・Ⅰ歴代1:32もそばめ)ちなみに、イッシャーは女性を表す語(創世記2:23、ヨシュア2:1)

ケトラの子らの名は「ジムラン、ヨクシャン、メダン、ミデヤン、イシュバク、シュアハ」と伝えられている。ミデヤンは、後にモーセの寄留の地となる(出エジプト2:16-)

「アブラハムは自分の全財産をイサクに与えた」(それは、他の子どもたちが何も受けなかったということではない。21:10や、21:12を踏まえた表現と見る)未だ、アブラハムにすら明らかではないが、私たちは知っている。アブラハムに与えられた祝福は、メシヤの誕生という一点に向かって収斂していく。それは、イシュマエルではなくイサク、エサウではなくヤコブ、ルベンではなくユダと、排除を重ねてイエス・キリストに収斂する。一度イエス・キリストに至ると、その贖罪の恩恵は全世界に展開する。福音は12人の弟子たちに託されて「エルサレム・ユダヤとサマリヤの全土・および地の果てまで」無限に広がっていく(1:28)

アブラハムは、イサクの相続に伴い、そばめの子らをイサクから遠ざけた。無用な混乱を引き起こさないために、アブラハムの知恵の配慮だが、近代の人種分離政策とは異なる。

「アブラハムは平安な老年を迎え、長寿を全うして息絶えて死に、自分の民に加えられた」その時175才であったと言われる。

彼の葬りは、イサクとイシマエルとによってなされた。墓は「マクペラのほら穴」(サラの傍らに葬られた)イサクとイシュマエルの共同作業には、心慰められるものがある。或いは、偉大な父の死に際して、過去の恩讐は消え去ったか。

「イサクはベエル・ラハイ・ロイの近くに住みついた」(16:14、24:62)この地は、イシュマエルの母ハガルにとって忘れることの出来ない神体験の場であったが、イサクの定住地となる。

Ⅱイシマエルの歴史

イシュマエルはアブラハム家の傍系にすぎないが、主の祝福は彼にも繰り返し約束されてきた(16:10、17:20、21:13)創世記の著者は、イシュマエルの子孫についても略述している。彼らは、救いの歴史に直接関わるわけではない。それ故、その系図を繰り返す必要を感じてはいないが、それにも拘らず、その名が記録されている。これは、彼らもアブラハムの祝福の下にあることの記念的証言ではないだろか。

「イシュマエルの子の名は、その生まれた順の名によれば、イシュマエルの長子ネバヨテ、ケダル、アデベエル、ミブサム、ミシュマ、ドマ、マサ、ハダデ、テマ、エトル、ナフィシュ、ケデマである」その数が12というのも、イスラエル部族の数と同数で興味深い。エサウは、ネバヨテの娘を妻に迎えている(28:9)イシュマエルは137年の生涯を全うした。

彼の子らは「ハビラから、エジプトに近い、アシュルへの道にあるシュルにわたって、住みつき、それぞれ自分のすべての兄弟たちに敵対して住んだ」と言われる。彼らは、好戦的な民族として知られる(16:12)

Ⅲイサクの歴史

イサクの結婚はすでに語られた(40才で、ペトエルの娘、ラバンの妹リベカを迎えた)

リベカは才色兼備であったが、不妊の苦しみを負っていた。一体、祈りを必要としない人がいるだろうか「イサクは自分の妻のために主に祈願した」これは、彼の息子ヤコブの態度と対比される(30:1-2)が、聖書中にも稀有な記述である。

聖書には、不妊に悩む女性が数々登場する。私たちの知るサラは、既に老年であり絶望的であった(18:11-12)求めることさえ諦めていたようだ。

ラケルは、今日的な表現をするなら、あらゆる不妊治療を試みたと言えるだろう(30:14-15)ラケルを愛したヤコブは、彼女の苦悩にまでは思いが及ばなかった。そのため、二人は怒鳴りあいの華々しい夫婦喧嘩をしている(30:1-2)

ハンナは、夫の愛情にも拘わらず、慰められることは無かった。彼女は、ペニンナのいじめに苦しみ、心を痛めて「主に祈って、激しく泣いた」(Ⅰサムエル1:10)夫エルカナは、ハンナに優しく親切であったが、ハンナの祈りは孤独であった。

こうして見ると、妻のために主に祈ったイサクの行為と人柄は特筆すべきものであろう「主は彼の祈りに答えられた。それで彼の妻リベカはみごもった」(ルカ1:13)

リベカも主の前に立つ事を知る女性として描かれている。彼女は「こんなことでは、いったいどうなるのでしょう。私は」と言って「主のみこころを求めに行った」私たちが知る限り、リベカは自ら求め・決断して、主の前に一人で出た最初の女性である。リベカは後に、弟息子ヤコブを偏愛し、彼を唆して夫イサクを欺くので不評判だが、リベカもひた向きな女性であった。

彼女は胎内に二人の子が与えられた事を知り「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える」と啓示を受けた。

余談だが、聖書の中で、神は弟たちを導き励まして用いる。今日では、相続権は兄弟平等であるが、兄の相続権が圧倒的に優位であった時代に、聖書の記者は、神の恩恵が長子優先の社会風習に束縛されない事を知っていたのであろう。そして、自分では変えようがないものを神は主権的に自由に扱われることを教えたか。

カインとアベル、アブラハムは末の子らしい、エサウとヤコブ、ルベンとユダ、アロンとモーセ、末っ子ダビデ、同じくソロモン、放蕩息子と兄と枚挙に暇がない。

双子の命名の由来は次の通りである。

「最初に出て来た子は、赤くて、全身毛衣のようであった。それでその子をエサウと名づけた」

「そのあとで弟が出て来たが、その手はエサウのかかとをつかんでいた。それでその子をヤコブと名づけた」

二人は成長して、個性が明らかになる。

「エサウは巧みな猟師、野の人となり、ヤコブは穏やかな人となり、天幕に住んでいた」

小生は常々“違いは豊かさ”と考えることにしている“多士済々”は結構なことではないか。「イサクはエサウを愛していた。それは彼が猟の獲物を好んでいたからである。リベカはヤコブを愛していた」それぞれの好みがあることを一概に責められない。許容していいのではないか。しかし、家庭の中で露骨な偏愛が所を得ると、息苦しくなる。

長子権を軽んじたエサウと抜け目のないヤコブ

ある日「飢え疲れて野から帰って来た」エサウは、ヤコブに付け込まれ「見てくれ。死にそうなのだ。長子の権利など、今の私に何になろう」と応じる。

この出来事を捉え、ヘブル書の著者は「一杯の食物と引き替えに自分のものであった長子の権利を売ったエサウのような俗悪な者がないようにしなさい」(ヘブル12:16-17)と引用する。

ヤコブの行為は合法的であるが、弱みに付け込んだ後味のわるいものであり、禍根を残す。

エサウが赤いものを求めた故事にならってエドム(赤い)と呼ばれる。

「侮ってはいけません。人の蒔くところは刈り取るところとなる」