創世記23章

創世記23章          妻サラの死と葬り

Ⅰ糟糠の妻サラの死

「サラはカナンの地のキルヤテ・アルバ、今日のヘブロンで死んだ。アブラハムは来てサラのために嘆き、泣いた」サラは127歳であった。

アブラハムがカルデヤのウルを出てハランに移動した年は不明だが、父の死後、ウルを出たのは、アブラハムが75才(12:4)10才違いのサラは65才であった(17:17)すると、アブラハムにビジョンが与えられ、サラが共に踏み出してから62年になる。

アブラハムの妻であることは、主に従う厳しい道を辿ることであった(実際には、主に従うばかりではなく、時には夫アブラハムの不適確な判断に翻弄されることもあった。パロ宮殿の物語(12章)や、アビメレク(20章)との出会いは、思い出したくもない事柄である。また、自ら良かれと願って自己犠牲を払ったハガルの一件は、屈辱に塗れた失態であった。

出来事を一つずつ取り上げると、苦難の生涯であったと言わざるを得ない。しかし、主が共におられるということは、何と素晴らしいことか。躓きながらも、生涯かけて目的に進む。イスラエルの子孫は、アブラハムを「信仰の父、神の友」(ルカ19:9、ヤコブ2:23)と呼び、サラを「娘たちの憧れとした」(Ⅰペテロ3:6)終わり良ければ全て良し。

ヘブル書の著者は「信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は、約束してくださった方を真実な方と考えたからです」(11:11)と、サラを評価する(サラさえもと読むことも可能だが)

アブラハムに影の如く寄り沿い、寡黙で声を上げることの少なかったサラであるが、彼女の忍従なしには、アブラハムの志は果たされなかったであろう。サラは正しく糟糠の妻であった。アブラハムは「嘆き、泣いた」おそらく、アブラハムは声を上げて号泣したのであろう。

泣くという言葉は、やるせない悲しみを思い起こさせるが、主イエスは、自ら泣き(ヨハネ11:35)泣く者の涙を拭われた(ルカ7:13)

イサクは成人していた(37才)が、未だ結婚をしていない。それ故、サラは孫の顔を見ていない。「わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう」との約束は更新されたが、その実現を見るには至っていない。これは、途上の死である。

ヘブル書は「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです」(11:13)と証言する。さらに「この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。神は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられたので、彼らが私たちと別に全うされるということはなかったのです」(ヘブル11:39-40)と書いている。

これは、興味深い記述である。ヘブル書12:1は、競技場風景を髣髴させる描写であり、そこだけ読むと「雲のように私たちを取り巻いている」旧約時代の先輩たちは、既にゴールを果たし、今や観客席で声援を送る者のように見える。しかし、もっと適確な比ゆは、最終ランナーに声援を送るリレー競争の完走者と見ることであろう。

Ⅱアブラハムが墓地を購入

アブラハムはこの地に住み、この地を約束された(13:15)が、土地の取得に執着しなかった。ひたすら、天の都を仰ぎ見て、地上では寄留者の如く生きた。

しかし、サラの死によって、埋葬のために一片の土地を必要としたのである。私達の知る限り、アブラハムが所有した地は、このとき得たマクペラの畑と洞窟だけであった。これは、求めたというよりも必然であったが、奇しくも約束の地を所有するしるしとなったことは確かである。

アブラハムはヘテ人(ヒッタイト)に交渉を持ちかける。アブラハムの意中には、初めからエフロンの所有する「マクペラのほら穴」があったようだ。

しかし、売買交渉に当たって、ヘテ人の長老たちに話を持ちかけている。アブラハムは、先にも見知らぬ客を持て成したほどであるから、近所付き合いは大切にしたらしい(ロトを救出する時、隣人のエモリ人マムレとその兄弟たちの助力を得ることができた。13:13、24)

アブラハムの挨拶を受けたヘテ人たちは、真に愛想がいい「ご主人。私たちの言うことを聞き入れてください。あなたは私たちの間にあって、神のつかさです。私たちの最上の墓地に、なくなられた方を葬ってください。私たちの中で、だれひとり、なくなられた方を葬る墓地を拒む者はおりません」「ご主人」という表現は、慣用的なものに過ぎない。ロトには旅人への親切心があった(19:2)が、ヘテ人たち、分けてもエフロンの言葉(23:11)は、眉唾ものではないか。「神のつかさです」という言葉も、油断はできない。世辞以上のものではあるまい。

とにかく、アブラハムは段階を踏んで、土地の所有者エフロンと交渉することになる。おそらく、当時の売買交渉の手順が物語られているのであろう“郷に入っては郷に従え”ということか。

エフロンも上機嫌である。みなの前で、気前の良い挨拶を交わす「ご主人。どうか、私の言うことを聞き入れてください。畑地をあなたに差し上げます。そこにあるほら穴も、差し上げます。私の国の人々の前で、それをあなたに差し上げます。なくなられた方を、葬ってください」

アブラハムはこの地に住んで60年余り、言葉の持つ裏側の意味を知っていた。“しめた、ありがたい”とは受け取れないのである。

エフロンは「差し上げます」と、三度繰り返している。そして、その言葉は、文字通り無料を意味するのだが“ただより高い物はない”ことを思い知らされる用法であろう(Ⅱサムエル24:23)

アブラハムが代価を問うと、エフロンはあっさり答えます「ではご主人。私の言うことを聞いてください。銀四百シェケルの土地、それなら私とあなたとの間では、何ほどのこともないでしょう。どうぞ、なくなられた方を葬ってください」

「銀四百シェケルの土地」価格は、高いのか安いのか。

シェケルは約11グラム、すると400シェケルは4キロ余り、これだけでは、判然としないので、他の土地売買の記録と比較してみることにする。

アブラハムは、一片の畑と洞窟を400シェケルで購入した。

ダビデ王は、国家的な悔い改めをするために、祭壇を築くためアラウナの打ち場といけにえの牛とを買った(Ⅱサムエル24:24)ここでは、全焼のみならず和解のいけにえもささげた。和解のいけにえは食するものであるから、宴会場として、かなり広い空間を要する。代価を惜しまなかったダビデ王が、この国家的事業に支払ったのは50シェケル。

北王国イスラエルを簒奪したオムリ(悪名高いアハブ王の父)は、サマリヤに遷都するために銀2タラント支払った(Ⅰ列王16:24)これは、6000シェケルである。

エレミヤは、従兄弟ハナムエルの要請を受けて、アナトテの畑を買ったことがある(エレミヤ32:9)その代価は17シェケルであった。

おそらく、エレミヤの贖った畑よりも狭かったであろう。ダビデの国家的事業の8倍、法外な値段と言わざるを得ない。しかし、エフロンは「通り相場」という。墓地を必要としているアブラハムの足元を見た、抜け目のない商売であった。

アブラハムは、エフロンの言い値(良い値)で買った。これは、15章で約束された地「わたしはあなたの子孫に、この地を与える。エジプトの川から、あの大川、ユーフラテス川まで。ケニ人、ケナズ人、カデモニ人、ヘテ人、ペリジ人、レファイム人、エモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人を」(15:18-20)の実現の一歩となった。

この地にアブラハムもイサクも葬られ、ヤコブはこの地に葬られるように遺言している(49:29-31)もちろん、言うまでもないことだが、墓を懐かしんでいるわけではない。身はエジプトにあっても、アブラハムに約束された地を遥かに思い見ているのである。それは、ヨセフの遺言にも伺える(創世記50:24-25、出エジプト13:19)