創世記14章

創世記14章          いと高き神の発見

この章は、アブラムの力が侵略者たちに対抗することができるほど強力になっていることを伝えている。もちろん神の恵みがあり、親戚ロト一家の危機と言う事情にも発奮したであろう。夜になって敵の油断を突く戦略的な知恵も働かせたが、まことに見事な勝利である。

アブラムは「主のおかげで」(10:9)勝利者となったが、ニムロデのように力と栄光を掲げる支配者とはならなかった。これは特筆すべき事ではないか。アブラムが武装して敵と対決したことは、これが初めで最後の記録である。イサクなどは小競り合いさえも避けている(創世記26章)

Ⅰアブラム出陣の経緯

シヌアルの王アムラフェル、従来これをバビロンのハムラビ王と同一視してきたが、言語学的に無理があると考えられている(アムラフェルという名が見出せない)

エラサルの王アリヨク(ヌジ文書はフリ人アルリウクに、マリ文書はイラズルという地名に言及)

エラムの王ケドルラオメル(しもべクドルと神名ラゴマルの合成語)

ゴイムの王ティデアル(ティデアルはヒッタイト人の名トゥダリアスに近似、トゥダリアスⅠ世は前17世紀に活躍したヒッタイトの王名)

上記4王の連合軍は(詳細は知り得ないが)推測する限り、北東のエラムからバビロン、北西のヒッタイトやシリアを包含するものである。文字通りこれらの王たちの連合であったなら、強大この上ないもの。カナンの王たちは、これまでケドルラオメルに仕えてきたが、それを潔しとしない気運が起こってきたのであろうが、カナンの5王が結束しても、対抗することは不可能に見える。

侵略者たちの遠征経路は、真っ先に反乱した地域に向かうことをせず、ヨルダン川の東側(王の道)を南下して死海の南100キロの地点にあるカデシュにまで至る。そこから戻ってきてシディムの谷で最終的な戦いが行なわれた。ソドムとゴモラは、人質ばかりでなく、全財産や食料までも奪われた。ロトが捕らわれの身となったのは、使い道があったからではないか。

アブラムの出陣

逃亡者からの情報を受け取り、アブラムは、家の子郎党318人を招集して北のダンまで追跡した。いったい、318人の即席兵士たちが、王たちの連合軍に勝利することが出来るのだろうか。詳細は分からない。しかし、夜襲をかけるなど、成し得る事はすべてしたということであろう。そこに主による勝利が与えられた。ロトや他の捕虜達を奪還し得たのは奇跡的大勝利であった。

勝利には様々なケースがある。エリシャの時代に、サマリヤを包囲していたアラムの軍勢は一夜で逃げ去った(Ⅱ列王7:7)ヒゼキヤ王の時代には「主の使いが出て行って・・・アッシリアの陣営で18万5千人を打ち殺した」ことがあった(Ⅱ列王19:35)平家物語の富士川の合戦では、水鳥の羽音に驚いた平家が戦わずして敗走した事が伝えられている。

着目しなければならないのは、この大勝利にも拘わらず、アブラムの軍事・政治・経済的な事情は少しも変わっていない。戦いが終わると、彼はさすらいのアラム人に戻る。

Ⅱ帰還とメルキゼデクの祝福

ソドムの王は、アブラムの勝利を祝うために出てきた。これも、世俗では一つの栄誉であろうか。しかし、摂理の神は、これよりも先にシャレムの王メルキゼデクを差し向ける。

メルキゼデクについては「いと高き神の祭司であった」と紹介されている。その名の意味は、正義の王・平和の王である(ヘブル7:2)

メルキゼデクは、パンとぶどう酒を携えてアブラムを祝福にきた。ヘブル書の著者はメルキゼデクを「父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされ、いつまでも祭司としてとどまっているのです」と語り、神的な存在と考えている。著者は、メルキゼデクをイエス・キリストの雛型として描いている(5-7章)

メルキゼデクがアブラムを出迎えたのは、勝利の美酒に陥りかねないアブラムに「いと高き神」を知らせるためであった。この神名は、アブラムがこれまで耳にしたことのない御名である。

メルキゼデクの教訓は、祝福がいと高き神から与えられたことを明らかにしている。その御名は「天と地を造られた方、いと高き神」として啓示された。アブラムの周囲では数多くの神々が拝まれていたが、啓示されたのは無比の神である。モーセはこの神を讃え「エシュルンよ。神に並ぶ者はほかにない」(申命記33:26、出エジプト15:11)と讃える。

神名の啓示は、イスラエルの先祖たちにとって、神理解と信仰の確信を深める転機となった(この後も、創世記16:13、17:1、22:4、32:30、33:20、出エジプト3:14、6:2、17:15)

パンとブドウ酒の食卓を聖餐式の暗示として強調しすぎることは避けたほうがよい(今日では、小麦粉のアレルギーでパンを口にすることが出来ない者もいる。数年前、そのためにカソリック教会からメソジスト教会に移った家族があった)

「いと高き神に誉れあれ」とは、勝利に有頂天になりかねないアブラムにタイムリィーな勧告となったであろう。栄光は主のものです。ニムロデの道を歩んではならない。

「アブラムはすべての物の十分の一を彼に与えた」この十分の一のささげものが、後日の十分の一献金となったと考えられる(ヘブル7:5)。アブラムは、この行為はどこから学んだのであろうか。すでに、そのような慣行があったのであろうか(余談だが、近代の小作料が法外なことと対比)

Ⅲアブラムの真の勝利

ソドム王の報奨、彼は帰還したアブラムに「人々は私に返し、財産はあなたが取ってください」と、気前の良いところをみせる。しかし、アブラムは貪らなかった。アブラムは生命を賭して戦ったのであるから、当然の報酬と考えることもできた筈である。しかし、メルキゼデクは「祝福を受けよ・・・いと高き神より」と教えてくれたのである。アブラムはメルキゼデクとの邂逅を通して、敬虔で思慮深くなったと言えよう。

アブラムの対応は率直で堂々としている「私は天と地を造られた方、いと高き神、主に誓う。糸一本でも、くつひも一本でも、あなたの所有物から私は何一つ取らない。それは、あなたが『アブラムを富ませたのは私だ』と言わないためだ」

アブラムは早速「天と地を造られた方、いと高き神」を引用する。神の祝福を信じて疑わない。彼は、他の者が主の栄光を横取りすることに我慢できない。頑固者と誤解されかねないが潔い限りである。これは個人的な意地の主張ではない。ソドム王が神の栄光を詐称することを拒否したのである。アブラムには、神の御名に対する誠実さと熱心が見られる。このようなアブラムを、神はやがて「わたしの友」と呼ぶ(Ⅱ歴代20:7、イザヤ41:8、ヤコブ2:23)

人間関係は本来「ふさわしい助け手」であったが、次第に“持ちつ持たれつ”と言う、分かりやすいが微妙な互助関係がきわだち、ついには贈収賄関係に歪められている。私たちの信仰告白は、聖書を“信仰と生活の誤りなき規範”としている。霊的な事柄だけではなく、生活のあり方ももっと聖書から学ぶ必要があるのではないだろうか(ある時、キッシンジャーは、パレスチナ問題解決を求める発言の中で、旧約聖書に言及していた)

しかし、アブラムは他の人々の判断を束縛することはなかった。盟約を結んでいた「アネルとエシュコルとマムレには、彼らの分け前を取らせるように」と言い添えている。自己を厳しく律することは良い。しかし、押し付けがましくなって他人の領域を侵し、その自由を規制するとなるといかがなものか。アブラムはこの点で寛容な度量を見せている。

小生の率直なメルキゼデク考。文字通りにエルサレムの王として考えるには無理があるのではないか。ヘブル書は、メルキゼデクを一介の祭司としてではなく、キリストの雛形、キリストに等しい王なる祭司と理解している。メルキゼデクの歴史性を主張することは混乱を招く。アブラムに対するメルキゼデクの出現は、その後も繰り返し行なわれた主の顕現と同様に考える(例えば、18章の主の顕現、16、22章、出エジプト3章の「主の使い」の類比として考える)