創世記12章

創世記12章          アブラムの転機

前章は「テラはカランで死んだ」という言葉で結ばれている。12章から待望のアブラムの物語が始まる。カルデヤを出立したのは父テラの意志であった。アブラムは、今や己の決断として行動する。その転機となったのは父の死であった。父の死は、人生最大の危機の一つに違いないが、転機はしばしば危機に訪れる。預言者イザヤも「ウジヤ王が死んだ年に、私は、高くあげられた王座に座しておられる主を見た」と証言している。危機(クライシス)の語源は決定するの意味である(小生にとっては、母の死が決断の時であり、献身に導かれた転機であった)

Ⅰ主はアブラムに語る

「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい」

カルデヤのウルを出立したテラの一家はハランに留まった。ハランは、アブラムが選んだ地ではなかった。父テラにとっても中途半端な地であった筈である。詳細は知り得ないが、テラが当初望んだのはカナンの地であった(11:31)しかし、テラはカナンに至る旅を続けることができなかった。初志を貫徹できないで、一家はハランに定住することになったのである。

“住めば都”というが、アブラムの兄弟ナホルは、父の死後もハランの地に住み続けた。アブラムは、出処進退を自分のこととして決断せざるを得ない時を迎えた。このような時、神を畏れ敬う者は神に導きを求めて祈るであろう。

アブラムに語りかけた(確信を与えた)のは主であるが、おそらくアブラムの祈りが先行したと考えてよい。主を尋ね求める人は主に会うのである(エレミヤ29:12-13)ヤコブも「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます」(ヤコブ4:8)と教える。

神の導きと働きかけは自由自在である。神の取り扱いを人が断定的に規定することはできない。神は時には、人が思い描いたこともない事柄に目を向けさせて下さることがある。しかし、一般的には、人は長く懸案であった事柄、容易に決断できない事柄について神に祈り求め、神が答えられる。

この時アブラムの決断を躊躇わせていたのは、故郷や親族との分離ではなかっただろうか。それ故主は「あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい」と決断を迫り、祝福を約束する(13:14-17、15:4-5、17:19-21、22:16-18)

アブラムとは、実に驚くべき人物である。主の祝福「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう」ここまでは良いとしよう。しかし「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される」という言葉を聞くとは。祝福の世界的な規模にも圧倒されるが、その目的が「あなたによって祝福される」と言う点こそ稀有である(歴史の支配者たちは、他者を征服して己の世界を作り出した。彼らの脳裏には、征服された者たちへの配慮は欠落していた)しかも、愛妻サライは不妊と見られていた。

地上のすべての民族にとって、アブラムは試金石となる「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう」ローマの総督ピラトは「キリストと言われているイエスを私はどのようにしようか」(マタイ27:22)と自問したことがある。その前に、世界は“アブラムをどうするか”と問われたのである。

アブラムを信仰の父と呼んだのは言い得て妙です。神の前に生きる信仰とは、本来、このように万人の祝福を視野におくものではないか(救世軍を創設したウイリアム・ブースの母は、揺りかごの幼子に“ビルよ、世界があなたを待っています”と語りかけたとか)

「出て・・・行け」この命令の背後には、カルデヤの地が偶像礼拝に汚されていた事情があったと言われる(ヨシュア24:2)が、カナンの宗教・道徳はカルデヤのウルに優るものではなかった(むしろ、聖絶されたカナンの方が堕落は決定的であったと考えられる。ソドムやゴモラを想起せよ)

アブラムには服従が求められ、従うことが偉大な一歩となったのである。ヘブル書の記者は、アブラハムが天の都を待ち望んでいた(ヘブル11:10)と記す。ヨシュアの言葉は将来への警告である。

Ⅱアブラムの決断

「アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた」甥のロトも同伴することになった。その時、アブラムは75才であったと言われる。モーセの時代にも75才は高齢であったが、彼自身が80才で召し出されたことを考えると、アブラムに思いを馳せながら、自身の経験を重ね合わせた事であろう。

ヘブル書の著者は「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました」(11:8)と書いているが、これは、アブラハムがカナンについて全く知識も情報も持たなかったという意味ではない。神の約束以外には何の成算もなく、服従の徹底振りを表現したものでしょう。

若者は冒険を好み新天地を恐れないが、高齢者にとって住み慣れた地を離れることは容易でない。こうして、アブラムのさすらい人としての生涯が始まる。

Ⅱ行く先々で祭壇(シェケム、ベテルの東、ヘブロンのマムレ)

「モレの樫の木(エイラーン)」ギリシャ語はテレビンの木、学名はピスタチア・パレスチーナ。

樫の木はよく登場する。リベカの乳母デボラの墓はベテルにあり(35:8)ヨシュアはシェケムで誓いと記念の石碑を立てた(ヨシュア24:26-27)ダビデはエラの谷で巨人ゴリアテを倒す(Ⅰサムエル17:2)アブシャロムが掛かったのも樫の木であった(Ⅱサム18:9)この木は、切り倒してもひこばえが生えるので、残りの者の象徴だと言われる。

「アブラムは祭壇を築いた」ノアの先例がある(8:20)これは、主の御名によって祈る礼拝行為である(詩篇105:1-2、116:3-4)自分を心に留めて下さった神への感謝があり、わが身を主に託す献身があり、将来の導きを主に期待する信頼がある。この礼拝が新生活の基盤となる(13:18、14:13)

「激しい飢饉に遭遇」

飢饉に遭遇してエジプトに南下する。飢饉に際してエジプトに下るのは、これが初めで最後ではない。飢饉の折にエジプトに下るのはイスラエルの常套手段であった。イサクも同様な選択をした。ヤコブの子らはエジプトに食料を求めて買出しに行き、ヤコブ自身躊躇はしたが、ついにエジプトに移住した(46:2-4)すると、アブラムに移住を厳禁したのは何故か。おそらく、カナンが約束の地であることをイスラエルが銘記するためであったろう。

肥沃なエジプトは、飢饉の時の避難場所として恰好の地だが、そこでイニシアチブをとるのはパロである。アブラムは、そこに、どんな危険が待ち受けているかを予測することができた筈である。リスクを回避するためには、知恵を回らさねばならない。

ここで危険に冒されるのは妻サライの貞操である。一家が食いつなぐことと妻サライの貞操の危機とでは、どちらが優先されるのか(批判はおいて、時代の文化を垣間見る)

信仰者にとって見えない将来は、主にあって希望であるが、予期される危険を冒すことは神を試みることである。利己的な決断をして後“主が最善に修復してくれるに違いない”と考えるのは信仰ではない。怠惰で無責任、神を侮ることである。使徒パウロは警告しています「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります」(ガラテヤ6:7)と。

「パロは彼女のために、アブラムによくしてやり、それでアブラムは羊の群れ、牛の群れ、ろば、それに男女の奴隷、雌ろば、らくだを所有するようになった」パロの贈り物は、アブラムを楽しませたであろうか。むしろ、針の筵に座らせられた思いではなかったろうか(今日も、バラムが愛した不義の報酬(Ⅱペテロ2:15)を求める者が後を絶たない)

この混乱を解きほぐしてくださったのは神のあわれみである。次の事件の時、アブラムは自己弁明のために汲々としている「ほんとうに、あれは私の妹です。あの女は私の父の娘ですが、私の母の娘ではありません。それが私の妻になったのです」(20:12)と。これはピンク色の嘘。

神のしもべたちも訓練を要した。アブラムの不忠実、モーセの怒り、エリヤの恐れ、ぺテロの臆病“約束の担い手が、約束の最大の敵である”と言われる。真にうがった見方である。