創世記11章

創世記11章            バベルの塔

イスラエルにとって、誇るべき歴史とはアブラハム以後のものである。ノアやアダムに遡るのは、彼らがイスラエルの専有(物)だからではない。世界は彼らを共有しているのである。彼らが聖書の冒頭に記録されているのは、神による人間創造と万民は一つの生命を継承し生かされていることを認識するためであった(聖餐式の秘儀を考えさせられる。どの教会でも、ひとりのキリストのからだと血とを分餐しているにも拘わらず、教会は対立・敵対を繰り返してきた。今日では、教派間の流血の争いこそ陰を潜めたが、心中の侮りまでは克服していない)

11章は、ノアの洪水以来の大混乱から、民族の離散が始まり、アブラハムの登場が準備される。

Ⅰ全地は一つのことば

「人々は東のほうから移住して来て、シヌアル(バビロニア)の地を見つけ、そこに定住した」(これは、シュメールの足取りと重なる)

「東のほうから」という表現は、具体的には何も説明していない。該博な情報と知識を持っていた著者(10章参照)ならば「東のほう」の地名を書き記すこともできたであろう。そうしなかったのは何故か。小生は、エデンの東に追放された者が、楽園回帰を目指す婉曲な表現ではないかと考える。キリストが降誕された時、探求者たちは東からやって来た(マタイ2:1-2)仏教徒が西方に彼岸があり浄土があると考えたことは興味深い。

シヌアルは英雄ニムロデの開いた都である(10:8-10)人々は“パックス・シヌアル”を謳歌したことであろう。繁栄する都には人々が集まる。しかし、どこかカインの開いたノデの地を想起する、力の頼もしさと力に潜む不遜の危うさが感じられる(10章でニムロデの語義に言及した。決定的なものではなかったが、11章の展開を予測させるものであった)シュメール文明は、煉瓦を焼き(コンパクトで大きさを揃え使い易く、耐火素材)瀝青も使用した(この地には石材がなく、レンガが多用された。石材は輸入材であった)

「頂きが天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから」こうして、町のシンボル・タワー建設が始まる。造られた世界にとって、創造者なる神こそ統一の中心でなければならないが、人々は早くも神に代わるものを求めている(滑稽なのは、今日でも世界中が、世界一高いタワーの建設を競い合っている事。通信などに必要なことは理解できるが、一番を競うところにバベル的継承があり、弁解の余地はない)

「名をあげよう」“身を立て、名を上げ(仰げば尊し)”とは、私たちにも懐かしい言葉である。しかし、少なくとも前章では「主のおかげで」と言われたのではなかったか。主の恵の賜物が人の手に渡ると、人はこれを振りかざして振り回す。それは速やかに暴虐の剣に変わる。

本来、名をあげて下さるのは神の恵。それ故、栄光は神にのみ帰すべきもの(イザヤ43:7)著者は12章の冒頭で、アブラムに与えられた神の祝福を「わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる」と、前述の名に留意して記す(出エジプト32:32、イザヤ66:22、ルカ10:20、ピリピ2:6-11)

「散らされるといけない」こうして、人々は強大な中央集権的国家を作り出してきた(今日、地方分権が叫ばれているが遅遅としている。本音は“お前たちには任せられない”にあるらしい。権力が支配欲から脱皮するのは容易ではない)

著者がここで指摘しているのは「地に満ちよ」(1:28、9:1)と祝福された創造者の意図に逆行する姿ではないか。このような企てを主が喜ばれる筈がない。それは、未完成で終わる。

イスラエルが歴史的に離散の民(ディアスポラ)となったのは神の摂理であったことか。

Ⅱことばの混乱

神の意志は「地に満ちよ」であったが、人は離散をおそれ結束を求めて、結局崩壊の時を早める。

「彼らのことばを混乱させ」神の創造は無から有を生じさせ、秩序を与えるものであった。しかし、人間の文明は営々と努力を積み重ねて破局を準備する(大洪水も「地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた」に端を発した・6:11)

今日、二酸化炭素の増大・地球の温暖化の先にあるものは、誰の目にも明らかであるが、自分の生活を改めてまで取り組んでいる人はすくない(先進文明国の問題だけではない)

人々が何かを論じ始めると、直ちに明らかになることは、同じ言葉を使いながら同じ意味を共有していないことである。

ここでは、言語の混乱が神の裁きであることを語っている(全くその通りである)が、一つの言葉を無意味なものにした直接の原因は、人の自己中心性ではないだろうか。言葉には“話せば分かる”一面があるが“話すほどに敵意を抱く”場合もある。

意志の疎通を欠いた人々は、離反を余儀なくされた。こうして、奇しくも人々は「地の全面に散らされ」て行く。混乱の最中で、神の意志「地に満ちよ」が進む。

思い起こされるのは、福音宣教の歴史である。弟子たちは自分たちの期待通りなら、即座に応じることができる「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか」(使徒1:6)と、今にも走り出さんばかりである。主イエスはこれを窘め「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」(使徒1:8)と、地の果てを示された。

しかし、約束の聖霊が下っても、エルサレム教会は地の果てに向かって一向に動き出しません。教会というよりも、キリスト者たちが福音を携えてエルサレムから外側へ踏み出したのは、迫害の嵐がエルサレムに吹き荒んだからである(使徒8:2)彼らがエルサレムに留まることができないほどに、迫害の嵐が激しく吹き募ったからであった。

Ⅲ人々の歴史

セムの系図

アダムの系図の如く、10代に揃えてある(ルカの福音書を参照すると省略が明白)

これは、テラの子アブラムに至る系図である。アブラムの歴史性を語っているが、決して出自の優位性を示すものではない。人々の寿命は、急速に当時の人々の常識に近づく(因みに、アブラムは175才、イサクは180才、ヤコブは147才、ヨセフは110才、モーセは120才、一般には70-80)

26節「テラは七十年生きて、アブラムとナホルとハランを生んだ」

普通は、アブラムがテラの長男と考えられるが、そうでないことは明らか(26、32、12:4)著者も読者も、次のステージがアブラムのものであることを理解している(テラが205才で死んだ時、アブラムは75才。その年齢差は130年、おそらくハランが長子であったろう。単純な計算をすると、テラが70の時ハランが生まれ、ハランが60の時アブラムが生まれた。兄弟ナホルの妻ミルカは、ハランの娘であったと言われる。

アブラムの妻サライは異母妹であったと言われる(20:12)

テラ一家の旅立ち(カルデヤのウルを出る)目的地はカナンであったが、ハランに止まる。

テラの出立の動機については積極的な理由が伺えない(ヨシュア24:2-3、使徒7:4)あるいは、バベルの塔の頓挫後、人々は離散したが、テラもそのような時代の渦に巻き込まれたのであろうか。テラは一家の家長として、カナン行きを決断したが、その背後に神の導きがあったことを、アブラムは後に知る(創世記15:7)

テラの死後、アブラムはハランを出立するように召される。ここからがアブラムの旅路である。しかし、イスラエルの信仰は、アブラムが気づいていなかったカルデヤのウルで、既に神の召しがあったことを告白している(ヨシュア24:2,3、使徒7:2、創世24:10)

アブラムがイスラエルの祖であるなら、イスラエルの離散は、その先祖アブラムの時から始まっているのである(奇しくも、この度も旅は東から西に向かっている)

アブラムのカナンに向かう旅路は、モーセやヨシュアのように勝利者としての入国ではなく、難民の先駆でもあった。