創世記10章

創世記10章         ノアの子らの系図

Ⅰノアの子らの歴史

アダムからノアまで10代、セムからアブラハムまで10代。系図には、ある種の美的(或はそれ以上の)フォームがあるらしい。マタイは、アブラハムからイエス・キリストまでを三区分、それぞれ14代に整えている(マタイやルカの記録を歴代誌の記録と照合すると大胆な省略が伺える)

「大洪水の後に、彼らに子どもが生まれた」

洪水は、地上の生命を奪い去った。この洪水は、2004年、世界が経験したスマトラ沖地震と津波がもたらせた災害とは規模が異なる(洪水が局地的であったと主張する者もいる。洪水伝説が地球の裏側・メキシコなどにもあることを考えると、世界規模であったことを否定することはできない)

死屍累々たる大地に目を向ければ、書き記すべきこと(嘆き・恨み・・・)は無数にある。しかし、著者の関心は、死に絶えた世界ではなく、新たに誕生してきた生命の息吹きにある「大洪水の後に、彼らに子どもが生まれた」とは、不屈の希望を見る思いがする。こうして、ノアの三人の息子たち、セム、ハム、ヤペテから全世界の民は分かれ出たと言われる。神の祝福「生めよ。ふえよ」は速やかに成就し、人は増加して地の面に広がっていく。

創世記の著者が、世界を鳥瞰する視野を持っていたことは驚きに値する。世界には様々な民族があり、互いに争い分かれ住んでいたのが現実であった(それにも拘らず、どこの国の歴史も、自分たちが唯一の人類であるかのような記述に終始してきた)聖書の著者には国々を見る目に偏見がない。

古来(今日でも)人間は自分の生活の場(そこにおける権利や利益)に固執して、そこから目を離せない。しかも、視野は狭窄で近視眼的である(グローバルと言う言葉は、使われているほどには生かされていない)

著者は、この先でアブラハムを取り上げるが、それに先立ってノアの系図に言及する。先を急ぐ私たちには、馴染みのない人名・地名は些か退屈でさえある。この記録にはいかなる意味があるのか。おそらく、イスラエルの子らが神の選民であることを徒に自負することのないように“世界は一つ”という世界観を教えるためではなかろうか。著者の視点(唯一の神、神が造られた一つの世界)を、私たちも継承しなければならない。

私見ではあるが、イスラエルはアブラハム以前の世界に興味を持たなかったようである。そして、キリスト教会はキリスト以前のことを棚上げしてきた(旧約聖書をほとんど読まない教会があると聞く)宗教改革を果たしたプロテスタント教会は、カトリック教会1500年の歴史を公平に評価していると言えるだろうか。聖書信仰も教条的に陥っていないだろうかと危惧する。

ヤペテの子は、ゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メシェク、ティラス。

ゴメルの子孫はアシュケナズ、リファテ、トガルマ。

ヤワンの子孫はエリシャ、タルシシュ、キティム人、ドダニム人。

著者はすべての歴史を知りえたわけではない。彼が知りえた伝承には限りがある(欠落の理由)

「これらから海沿いの国々が分かれ出て、その地方により、氏族ごとに、それぞれ国々の国語があった」これらは、おおざっぱに言うと、ヨーロッパ・中央アジアへと広がりを見せている。私たちには、これらの詳細を知ることはできないが、世界が一つの根から分かれ育ったことは知りうる。

ハムの子は、クシュ、ミツライム、プテ、カナン。

クシュの子孫はセバ、ハビラ、サブタ、ラマ、サブテカ。

ラマの子孫はシェバ、デダン。

「クシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった」

ミツライムは、ルデ、アナミム、レハビム、ナフトヒム、パテロス、カスルヒム、カフトルを生む

カスルヒムからペリシテが出た。

カナンはシドン、ヘテ、エブス、エモリ、ギルガシ、ヒビ、アルキ、シニ、アルワデ、ツェマリ、ハマテを生んだ。カナン人の諸氏族が占拠した領土はパレスチナ全域にわたる。

ハムの子孫は、エジプトからアフリカ大陸へと広がり、アラビア砂漠の海沿いにも広がる。

セムの子は、エラム、アシュル、アルパクシャデ、ルデ、アラム。

アラムの子孫はウツ、フル、ゲテル、マシュ。

アルパクシャデはシェラフを生み、シェラフはエベルを生んだ。

エベルはペレグとヨクタンを生む。

ヨクタンは、アルモダデ、シェレフ、ハツァルマベテ、エラフ、ハドラム、ウザル、ディクラ、オバル、アビマエル、シェバ、オフィル、ハビラ、ヨバブを生んだ。彼らの定住地は、メシャからセファルに及ぶ東の高原地帯であった(アブラハムに至るのはペレグの子。ルカ3:35)

Ⅱニムロデについて

「ニムロデは地上で最初の権力者」

ニムロデという名前の意味は、マーラド(反乱する)から派生したとみられる。もし、反乱という言葉に根拠があるなら、彼は誰に反乱を試みたのであろうか。彼に与えられた称号「権力者」とは、どんな意味を持っていたのか。

「主のおかげで」(ヘブル語はリフネィ・ヤーウェ、主の前にの意、ギリシャ語エナンティオンも同義だが、対抗しての意味も含む)は、誤解を招く翻訳ではないか。主が許容したと見る可能性はあるが、主が積極的に支持しているとは受け取り難い。リフネィも否定的に用いられるケースが皆無ではない(Ⅰ歴代14:8、Ⅱ歴代14:9)すると、主に背いて・・・という可能性を排除できない。

ニムロデ王国は「バベル、エレク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。その地から彼は、アシュルに進出し、ニネベ、レホボテ・イル、ケラフ、およびニネベとケラフとの間のレセンを建てた。それは大きな町であった」

預言者ミカは「彼らはアッシリヤの地を剣で、ニムロデの地を抜き身の剣で飼いならす」と語り、アッシリヤをニムロデの地と呼ぶ(ミカ5:6)

ニムロデをエジプトのアメンホテプⅢ世と同一人物であると考える者もいる。彼は「力ある猟師」であったと言われる。

狩猟の強者・野獣の脅威を除く英雄たちは、聖書にも登場する(サムソン・士師14:6、ダビデの勇士・エホヤダの子ベナヤ・Ⅱサムエル23:20)

古代王の記録によると、エジプトのアメンホテプⅢ世は、76頭の雄牛、102頭の獅子を狩ったと言われる。トトメスⅢ世は獅子7頭を瞬く間に、12頭を1時間で倒したと。また、アッシリヤのテグラテピレセルは、140頭の象、920 頭の獅子を倒したと言われるのだが・・・。いずれにしても、英雄がもてはやされていた時代に、これらの古代英雄の元祖はニムロデとされた「主のおかげで、力ある猟師ニムロデのようだ」との諺が生まれたのであろう。いつの時代にも。栄光を主に帰する者があり、己に帰して主に反逆する者もいる。

諸氏族とその地理的な位置を同定することは、もはや不可能である。たとえ、決定付けることができたとしても、学問的な好奇心を満たす以上のものではない。見失ってならないことは、今日(著述当時も)世界が様々なフィルターで色分けされている時、創造者の目から見るなら“世界は一つ”である事実を受け入れることではないだろうか。

10章は「以上が、その国々にいる、ノアの子孫の諸氏族の家系である。大洪水の後にこれらから、諸国の民が地上に分かれ出たのであった」と結ばれている。これは、1節の「大洪水の後に、彼らに子どもが生まれた」ことと調和している。

しかし、手放しで喜ぶことはできない。6章冒頭の言葉「さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき」(6:1)地上は洪水を免れなかった。10章の人工増加(祝福)と都市の繁栄は、バベルの塔建設と離散の結末に至る。

それにも拘わらず、離散した人々は「地を満たせ」と言われた神の御心を満たすのである「ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう」(ローマ11:33)