神の命令〜互いに愛し合う            ヨハネの手紙第一3章23~24節

2026年4月19日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 前回の箇所で私たちは教えられました。神の命令を守るとは、神の喜ばれることを行うことです。神に喜んでもらうことです。神を喜び、神に喜んでもらうこと、それが私たちの信仰生活です。
 さて、ここでの「神の命令」とは具体的にどのような命令でしょうか。

【1】 御子イエスの名を信じる
 第一にそれは、御子イエス・キリストの名を信じることです(23)。聖書で名前はその人の本質を表します。キリストの名を信じるとは、キリスト自身を信じることです。
 イエス・キリストを信じる者には神の子どもとされる特権が与えられます(ヨハネ1:12)。さらに、その人はさばかれることがありません(ヨハネ3:18)。信仰のゆえにすべての罪は赦されており、神に完全に受け入れられているからです。それは信者でなかった者が、救いをいただいて永遠のいのちに生かされることを意味しています。
 ただしヨハネはこの手紙を主に未信者ではなく、すでに信じた者たちに向かって宛てています。ヨハネがここで「キリストの名を信じなさい」と言う時、それはすでに信じている者たちが、キリストに「さらに信頼しなさい」との意味です。この命令を守ることが、次に続く命令を守るために大事な備えになるのです。
 
【2】 互いに愛し合う
 二番目の命令、それは「キリストが命じられたとおりに互いに愛し合うこと」です。それはキリストによってすでに命じられた命令でした(ヨハネ13:34)。ヨハネもこの手紙の中ですでに教えてきた命令であり(3:11)、さらに今後も繰り返し教えていく命令です(4:7)。
 エルサレムで最初に誕生した教会の様子について、使徒の働きには次のように記録されています。「信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた(2:44〜45)。それは互いに愛し合う教会だったことがわかります。
 初代教会に力があった一つの理由は、信徒たちが互いに愛し合っていたからでした。当時の教会には様々な境遇、社会的立場の人々が集まっていましたが、彼らはそのような立場を超えて互いに愛し合う教会でした。それが迫害にも屈しない当時の教会の一つの力だった、と言われています。
 私たちもぜひ、そのような教会を目指したいと思います。そのためには私たちがまず信じなければなりません。御子イエス・キリストの名を信じ、そしてキリストが命じられた通りに互いに愛し合うこと、この順番が大事です。イエス・キリストを信じてこそ、私たちは互いに愛し合うことができるからです。
 私たちが他者と出会う道は、私たちの我儘で自己中心な性質によって妨げられています。私たちはキリストを通してでなければ、互いに愛し合うことができないのです。

【3】 神のうちにとどまり、神も私たちのうちにとどまる
 神の命令を守る者には、どのような祝福が約束されているでしょうか。神がその人のうちにとどまる、との祝福が約束されています。神の命令を守る者は、神のうちにとどまる者です。その人のうちに神もまたとどまってくださいます。それは私たちがしっかりと神とつながって、神との親しい交わりに生かされると言うことです。
 丁度それは、ぶどうの木と枝のような関係です。イエス様は言われました。「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます(ヨハネ15:5)。」 枝がぶどうの木とつながっているならば、枝は木のいのちに生かされ豊かな実を結びます。
もし私たちが神のうちにとどまり、神も私たちのうちにとどまるなら、私たちはキリストのいのちに生かされ、多くの実を実らせます。もし私たちがぶどうの木であるイエス様から離れてしまったら、何もすることができないのです。

【4】 御霊の働き
 そのような祝福を、私たちはどのようにして知ることができるのでしょうか。神が私たちに与えてくださった御霊によってわかります(24)。私たちがイエス・キリストを信じた時に、神は私たちに御霊を与えてくださいました。この御霊なる神様が私たちとともにおられ、私たちの内におられます(ヨハネ14:17)。この内住の御霊によって私たちは神とともにある確かな平安と確信が与えられます。
 私たちはまず神を信じ、神に信頼しましょう。そしてキリストが私たちに命じられた通りに互いに愛し合いましょう。そのようにして神の命令を守り、神に喜んでいただきましょう。
 その時に私たちは神のうちにとどまり、神も私たちのうちにとどまってくださいます。私たちはキリストのいのちに生かされ、生き生きと生きることができます。そして多くの実を結ぶ者となります。私たちのうちに住まわれる御霊がそのことを私たちの確信させてくださるのです。