あなたの信仰があなたを救ったのです     マタイの福音書9章18~22節

2022年1月9日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

【1】 多忙なイエス様
 今日の箇所は「イエスがこれらのことを話しておられると…」という一文から始まります。イエス様がバプテスマのヨハネの弟子たちに話をしておられる最中に、一人の会堂司からの訪問をイエス様が受けられたことがわかります。
 何と多忙なイエス様でしょうか。イエス様に対して不満を抱くパリサイ人たちに対応された後、バプテスマのヨハネの弟子たちにも対処され、それが終わらないうちに会堂司の訪問を受け、彼の求めに応じて動き始めた時、長血をわずらう女性がやって来て、彼女にも対応されました。当時、多くの人々がイエス様を追いかけていたことがわかります。驚きなのはそれらすべての人にイエス様は実に丁寧に対応されておられる、ということです。
 多くの人々がイエス様を追いかけていましたが、大きく分けて二通りの人々がいました。それは①イエス様に戸惑いを覚えた人々と、②イエス様に救いを求めた人々です。今日の箇所に登場する会堂司と長血をわずらう女性は、後者に当たります。今日はまず、長血をわずらう女性の信仰に私たちは注目したいと思います。

【2】 長血をわずらっていた女性の信仰
 イエス様の後を12年間、長血をわずらっている女の人が近づいてきてイエス様の衣の房に触れました。マルコ5章やルカ8章の平行記事を見ると、彼女は多くの医者からひどい目にあわされ、財産を使い果し、何のかいもなく、病は悪くなる一方だったことがわかります。12年も病を抱えているというだけでも大変な苦しみなのに、経済的にも行き詰り、社会的にも孤立し、宗教的にも汚れた人と見なされていました。彼女が求める救いはどこにもなかったのです。
 しかし彼女を唯一支えていたものがありました。それは「この方の衣に触れさえすれば、私は救われる」という彼女のイエス様に対する信仰です。その信仰のゆえに藁にもすがる思いでイエス様に接近しました。そして後ろから近づいてイエス様の衣の房に触れたのです。イエス様に対する全幅の信頼を、彼女は苦しみの中でも失わなかったのです。
 私たちがもしこの女の人であったら、どう考えたでしょうか。この女の人のような大きな苦しみの中に置かれたら、どう対処するでしょうか。あきらめてしまうでしょうか。人生を嘆くでしょうか。ぜひこの女性のように、イエス様に接近するものでありたいと思います。
【3】 イエスの対応:振り向かれた
 この女性の行動を受けてイエス様はどのように対応されたでしょうか。まずイエス様は振り向いて、彼女に目を留められました。感動的な場面です。彼女は群衆の中にまみれていました。しかし、たくさんいる人々の中にあってもイエス様は彼女だけに目を留められました。たとえ私たちが群衆の中にいても、イエス様は私たち一人ひとりに目を留めてくださるのです。
 マタイの福音書では省略されているのですが、マルコの平行箇所を読むとイエス様が振り向いた後、この女の人に目を留められる前に「人々に尋ねた」「知ろうとした」という行動をイエス様が取られていたことがわかります。まずイエス様は「だれがわたしの衣にさわったのですか」と人々に尋ねられました。さらに「誰かがわたしにさわりました」と続けて語り、自分に誰が触ったのかを知ろうとされました。女の人は隠しきれないと知って、震えながら御前にひれ伏し、ことの次第をすべて民の前で話すことになってしまったのです。
 この女性はイエス様の衣の房に触れたら、そのまま誰にも気づかれずに立ち去る予定だったと思います。それでは病気は癒されるかもしれませんが、彼女の生活そのものは何も変わらなかったでしょう。自信がなく人目を恐れて隠れながら生きて行く彼女のそれまでの人生には、何も変化がなかったでしょう。しかし、イエス様は彼女の病の癒しだけでなく、彼女のこれからの人生のことまで考えておられました。彼女が信仰をもって喜びながら堂々と歩んでいけるように、導いてくださったのです。
 
【4】 イエスのことば:「あなたの信仰があなたを救ったのです」
 その後イエス様は彼女に言われました。「あなたの信仰があなたを救ったのです。」 彼女の信仰はそんなに立派な信仰だったのでしょうか。イエス様についてわからないことだらけだったと思います。不十分な信仰だったと思います。しかし彼女はイエス様に信頼しました。そんな彼女の信仰をイエス様は喜ばれ、高く評価されたのです。「あなたの信仰があなたを救った。」 彼女にとって、何と大きな励ましだったことでしょう。その時に彼女は癒されました。単に病気が癒されただけではなく、信仰をもって生きて行く新しい人生が与えられたのです。 
 神様は私たちの信仰を喜び、豊かに応えて下さる方です。私たちは自らの信仰の乏しさを言い訳にして不信仰を貫くべきではありません。12年間、長血をわずらってきたこの女性の信仰に、私たちはもっともっと注目しなければなりません。
 信仰の大きさが大事なのではありません。苦しみのうちに主に信頼すること、心を注ぎ出して神に祈ること、その時に神は必ず応えて下さいます。私たちは自分を信じるのではなく、主イエス様に信頼し、拠り頼んでいきたいと思います。