20061119 慰めの子バルナバ
使徒の働き4章32-37節
初代教会の様子は、既に2章で美しく描写されています(2:43-47)
教会に漲る活気、教えを守り祈る敬虔な姿、お互いの間に芽生えた思いやり、周囲の評判もよかった。
しかし、ルカは、再び教会の様子を描写しています。
なぜなら、この間に、教会は外側から厳しい弾圧を受けたからです。
教会では、彼らを代表するペテロとヨハネが逮捕・投獄されました。
イエス・キリストを語る事も禁止され、脅されるという試練を経験しました。
その中で、教会がひたすらに祈ったのは「み言葉を大胆に語らせて下さい」という願いでした。
祈りは応えられ、教会はこの危機にも拘わらず、恐れて萎縮することを免れました。
「使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった」と証言されているのです。
2章と4章に記された教会の様子は少しも変わりません。
しかし、4章の教会とキリスト者達は、迫害を経て試練済み(ドキモス)鋼なら焼が入っています。
迫害の厳しい時代を生きるキリスト者には、試練済み(ドキモス)が不可欠な徳の一つでした。
パウロは、同労の友人アペレを「キリストにあって練達したアペレ」(ロマ16:10)と呼んでいます。
また、愛弟子テモテに「熟練した者」(Ⅱテモテ2:15)となることを求めています。
ヤコブも「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受ける」(ヤコブ1:12)と励ましています。
こうして見ると、教会が聖霊の助けに守られてきたことは明らかですが“棚からぼた餅”式に、何の苦もなく自動的に強く逞しくなったわけではありません。
不純物を含んだ鉱石は、高温の溶鉱炉で溶かされ金屑を取り除かれて純度を増します。
キリスト者たちも、周囲の無理解や嫌がらせ、時には力づくの迫害を経て、揺るぎのない信仰と希望と愛の集団に育てられたのです(詩篇119:71、ヨブ23:10)
人間は環境の動物であると言われます。
確かに、人は置かれた環境に支配されやすいものです。特に子どもたちには良い環境が望まれます。
しかし、英国のマクラレンという牧師は書いています。
“愚者は環境の奴隷となるが、賢者は環境をしもべとする”と。弁解ばかりしてはなりません。
教会は、祈りと聖霊の助けによって、厳しい環境に立ち向かい、これを乗り越えてきたのです。
Ⅰ教会の一致
本日の聖句は、教会を生かす力がどこにあるかを明らかにしています。
もちろん、根源的な力は神にあるのですが、教会を構成する私たちの役割も明らかにされています。
32-35節の描写は、2:44節以下と同様に、一つの家族のような教会の姿を描いています。
教会は、迫害が始まっても愛の交わりを失うことはなかったのです。
32節には、心の一致が描かれています。
「信じた者の群れは、心と思いを一つにして」と記されています。
34-35節は、具体的な助け合いの描写です「地所や家を持っている者は、それを売り、代金を携えて来て、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に従っておのおのに分け与えられた」と。
ルカは、その間に割り込ませるように33節で「使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵がそのすべての者の上にあった」と、福音宣教の祝福を記しています。
この不自然とも見える割り込みの事実を、どのように説明したらよいでしょうか。
ルカは初代教会の証人として、福音宣教という大儀を足もとで支えている秘密を語っています。
教会の生命は、偽善ではなく、誠実な愛の交わりに支えられていると語っているのでしょう。
是非とも、このように書く必要があったのです。
次の5章で早速明らかになるように、愛の共助は決して容易なものではありません。
売名行為のような偽善が忍び込む危険を孕んでいます。
主イエスは、偽善を「パリサイ人のパン種」(ルカ12:1)と呼んで、厳しく戒められました。
ですから、愛の助け合いといえども、強制されるような雰囲気があってはなりません。
しかし、励まされなければ、私たちの心が燃え上がらないのも事実です。
パウロは、次のように書いています。
「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っている・・・成人である者はみな・・・すでに達しているところを基準として、進むべきです」(ピリピ3:14-16)
人は、それぞれ、神の愛に応えて自発的に生きる事を促されています。
Ⅱバルナバ
エルサレム教会に、キプロス出身のレビ人・ヨセフがいました。
使徒たちは、彼をバルナバ(慰めの子、フュイオス・パラクレーセオス)という愛称で呼びました。
彼の本名ヨセフは、ただ一度だけしか登場しませんが、バルナバは28回も繰り返されています。
今後バルナバは、使徒の働きの中で極めて重要な役割を担いますので、是非、記憶に留めて下さい。人々が彼をバルナバと呼んだ理由、彼が仲間たちにもたらせた慰めについて考えてみましょう。
37節に、彼は「畑を持っていたので、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた」と記されています。
「足もとに置く」という表現が二・三度繰り返されますが、自由にお使いくださいとの意味です。
主にささげた献金ですから、決してひも付きではありません。
これは、バルナバに始まったことではありません。
既に、教会の中で行われていたことです。
バルナバも喜んで参加したと考えたらよいでしょう。
これは、エルサレムの貧しいキリスト者たちの窮乏を補い、彼らの生活を慰めることになりました。残念ながら、5章に入ると早速アナニヤ・サッピラという不心得な夫婦が登場します。
外見は真似ができても、心までは真似の出来ない悲劇です。
いずれにしても、バルナバの行為は匿名でもなければ、売名でもありませんでした。
以下に、使徒の働きに記された慰めの子・バルナバの人となりを考察してみます。
9章26-28節には、バルナバの友情と度量を物語る記事があります。
私たちの良く知っているパウロは、初めサウロという名前で登場しました。
彼は、ステパノ処刑に同意し、キリスト信者の間では、迫害の急先鋒として恐れられていました(8:1-3)しかし、神はサウロを捉えて改心させ、キリストに仕える者とされました(9:1-19)
キリスト信者になったサウロは、直ちに熱烈なキリストの宣教者となりました。
しかし、サウロの前歴を知る者たちは彼を恐れて、容易に信頼しようとはしません。
この時、いち早くサウロを受け入れ、サウロの友となったのがバルナバでした。
バルナバの愛は、恐れを除き、サウロを受け入れました。
バルナバに与えられた「慰める(パラカレオー、パラクレートスは助け主・聖霊を指す)」という語義は「傍らに呼び寄せる」との意です。
バルナバはサウロを受け入れて親しい友となり、サウロが教会で活躍する場を開きました。
慰めの子の面目躍如です。
13章1節以下では、初めての世界宣教が企てられます(13:1-3)
シリアのアンテオケ教会は多士済々でした。
「バルナバ、ニゲル・シメオン、ルキオ、マナエン、サウロ」といった人々がひしめいていました。
主の御心は、バルナバとサウロを世界宣教に派遣します。
バルナバは貧しいキリスト者にとって物質的な慰めでした。
また、サウロのように孤立していた人にとって精神的な慰めともなりました。
そして、今や、地の果てを目指して福音を語るという事で、彼は霊的にも慰めの子となりました。
彼はその名の如く、まことに慰めの子でした。
15章35-39節も瞥見しておきます。
15章では、初めての(世界キリスト教)教会会議が開かれました。
それは、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の間にあった躓きを克服するためです。
この時の決定をアンテオケ教会に伝える務めが、バルナバとパウロに委ねられました。
二人が、エルサレム教会で信任の厚い存在であったことを物語ります。
この二人は、アンテオケに戻ると、早速、伝道旅行を計画します。
しかし、一つの点で二人の意見が割れました。
「バルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネもいっしょに連れて行くつもりであった。しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい(13:13)仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った」とあります。
これは、バルナバにとって盟友との決別です。
それは、ひとえに若いマルコの為でした。
この時以来、バルナバは「使徒の働き」の表舞台から外れます。
教会は、筋を通したパウロに大儀があると考えたようです。
しかし、パウロが頑なに筋を通せたのは、バルナバのフォローがあったからです。
後にマルコは見事に再起しました。
パウロもマルコを再評価しています。
「バルナバのいとこであるマルコも同じです。この人については、もし彼があなたがたのところに行ったなら、歓迎するようにという指示をあなたがたは受けています」(コロサイ4:10)
さらに、パウロがテモテに送った絶筆には慰めがあります。
「マルコを伴って、いっしょに来てください。彼は私の務めのために役に立つから」(Ⅱテモテ4:11)パウロがローマの獄中から最後に求めたものの一つは、マルコの訪れでした。
教会がバルナバを「慰めの子」と呼んだのは、誠に適切でした。
私たちも皆、聖霊の導きのもとで信仰告白をした、御霊の子です。
助け主の慰めに生かされて、他者を慰める者でありたいものです。