20060827 信者の生活ぶり
使徒の働き2章41-47節
イエス様は予め「あなたがたは力を受け・・・わたしの証人となります」と言われました。
実際、ペンテコステ以後の弟子たちの活動は、想像を絶するもの、驚くばかりでした。
最早、恐れを知らない弟子たちは、ユダヤ人同胞の前に立って公然と語り始めました。
「あなたがたは、神の定めた計画と神の予知とによって引き渡されたこの方(イエス・キリスト)を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。しかし、神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました」(2:23-24)と、大胆に語ります。
弟子たちは、あっぱれ主イエスの証人となりました。
ペテロは漁師です。旧約聖書に精通した学者ではありません。
しかし、彼が聖書を的確に引用した知恵は、驚嘆に値します。
まさしく、聖霊の知恵に導かれていた証しです。
さらに驚かされるのは聴衆の反応です。ペテロの説教を聴いて心を刺された人々は「兄弟たち。私たちはどうしたらよいでしょうか」と謙って尋ねました。
もちろん、エルサレム中がペテロの語る言葉に屈服したわけではありません。
頑固な反対や執拗な迫害は、この後で反動的に激しさを増します。
とにかく「彼のことばを受け入れた者はバプテスマを受け、その日、三千人程が弟子に加えられた」と記録されています。
1章15節によると、聖霊を待ち望んで祈っていたのは120人ほどでした。
神の子が人となり、十字架で死に、復活されて獲得した弟子の数が、僅120人です。
しかし、聖霊によって福音が語られると、教会は一日で3000人になりました。
宣教が聖霊の賜物であることを確認させられる展開です。
これについて、イエス様は「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なう業を行ない、またそれよりもさらに大きな業を行ないます。わたしが父のもとに行くからです」(ヨハネ14:12)と言われました。
この事実は、福音が優れて御霊とみ言葉の賜物であることを証しています。
確かに、地上を歩かれたイエス様に、直接お会いした人々は幸運でした。
イエス様の言葉を、自分の耳で聞いた者たちの喜びは、測り知れないものがあります。
しかし、あえて申し上げます。救いは聖霊の働きの中で、御言葉を受け止めることです。
ペテロは次のように書いています。
「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです」(Ⅰペテロ1:8-9)と。
Ⅰ生き生きとした教会
ルカは、聖霊とみ言葉によって生み出された教会の姿を、簡潔に生き生きと描写しています。
それは、教会の規模が大きくなった(一日に3000人)と言うことだけではありません。
「彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをして」います。
教会の霊性は高められ、相互の思いやりも深まり、献身的な生活が生れました。
「すべての民に好意を持たれた」とは、円満で健全な発展を遂げているしるしです。
ギリシャ語の時制には未完了(インパーフェクト)と呼ばれるものがあります。
それは、習慣化されたことがらや、繰り返し行われている事柄を表現します。
例えば、エリコのザアカイは「イエスがどんな方か見ようとした」(ルカ19:3)と記されています。
それは、思い付きでなく、彼が最近ずっとイエス様に会いたがっていたことを表現しています。
42-47節の動詞の時制は、ほとんど未完了です。これは、珍しい情景描写です。
ルカは、生れたばかりの信者の集まりが、活気に満ちていた事を告げるために未完了を用いました。それを心に留めて読んでいただきますと、昔の教会の姿ですが、臨場感・躍動感を覚えます。
彼らの生活の様子を瞥見してみましょう。
1、使徒たちの教えを堅く守り
使徒たちの教えは、イエス様の遺産です。
信者たちがしっかりと心に留めたのは、イエス様の言葉です。
信者たちは、教えを守ることによって、イエス様と堅く結びつきました。
ここに、キリスト教の確かさがあります。指導者が変わっても、教えの本質は変わりません。
教会は「キリストが満ち満ちている」(エペソ1:21)ところです。
また、真理の聖霊が崇められている限り、脱線することはありません。
教会は、英雄主義や個人崇拝の傾向を、断固として退けなければなりません。
それは、必ず教会を変節させます。
2、交わり(コイノニア)をしています。
エルサレム教会の交わりが描き出されています。
「信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた」と説明されています。
これは、イエス様に永遠の生命を求めた高潔な富める若き役人にとっても困難でした(ルカ18:18-23)教会は、それをやってのけました。まさに愛の奇跡と呼ぶことができます。
交わりと言う言葉は、神の恵みによって広がりを見せています。
しかし、これは制度として定められたのではなく、愛の自発的な行為でした。
共産主義は、これを制度として持ち込みましたが、結果は失敗に終わりました。
聖書は、この方法を命じてはいません。
愛のほとばしりとして、神に動かされた業として記録しています。
愛は自己愛の垣根を越えることが可能です。
時々、交わりのあり方を誤解する人がいます。そして、交わりを強調します。
しかし、交わりの本来的な意味は、次のように用いられます。
「あなたがたは神の御子、私達の主イエス・キリストとの交わりに入れられました」(Ⅰコリント1:9)「私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです」(Ⅰヨハネ1:3)
「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように」(Ⅱコリント13:13)
人間が罪を犯して失ったのは、真っ先に神との交わりです。
その結果、あらゆる人間の関係が崩壊しました(夫と妻、親と子、兄と弟・・・)
ですから、取り戻さなければならないのは神との交わりです。その後、他の関係が修復されます。
ヨハネは「もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」(Ⅰヨハネ1:7)と教えます。
教会は、聖徒の交わりの場ですが、交わりの基礎を見誤ってはなりません。
その上で、交わりは様々な実を結びます。
パウロはローマ教会に「マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金(コイノニア)することにした」(15:26)と書きました。
その事実を、コリント教会に「聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと、熱心に私たちに願った」(Ⅱコリント8:4)と、健全な交わりの姿を伝えています。
3、パンを裂き、祈りをして
初期の教会では、愛餐会と聖餐式の区別が明白ではなかったようです。
どのような形であれ、食卓につくキリスト信者は、パンを手にすると主イエスの裂かれた体、グラスを取ると流された主の血を鮮明に思い起こしたに違いありません。
パンを前にして「わたしはいのちのパンです」(ヨハネ6:35、48、51)と言われた、主の言葉を偲びます「主、ここにいます」という臨在感を覚えた事でしょう。
私たちの聖餐式も、同じ感謝と緊迫感を持っているでしょうか。
黙示録の最後の祈りは「主イエスよ、来てください(マラナ・タ)」です。
これは聖餐式の祈りだったと言われています。
彼らは祈り、賛美し、神を崇めていました。
それは、神殿における祈りの時に集まり、或いは、家々でも繰り返されていました。
そして「使徒たちによって多くの不思議としるしとが行われ」ました。
ルカは、どんな奇跡が起こったかを伝えようとはしていません。
ただ、全ての人々が神の恵みの働きだと認めない訳にはいかない事が次々と起こったと伝えます。
このような神の働きが、いつどこで起こるかというなら、人々の心に神への畏敬の念がある所で起こると伝えています。
神の業を妨げるのは、人間の傲慢不遜・不信仰ではないかと、気がかりです。
4、すべての民に好意を持たれ
教会は、人々にとって好感の持てる所でした。
私たちに特別な魅力がなくても、毎日感謝し、賛美して生活しているなら、私たちの周囲は明るく平和の漲る所となるでしょう。
随分前のことですが、ある時、家内の母から手紙をもらいました。
「毎日感謝を忘れずに生活して下さい」とありました。
牧師にこんな手紙を書いてくれるのは母親だけだと思って感謝しました。
教会は、地の塩・世の光です「主、ここにいます」という魅力を持ち続けたいものです。