あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい レビ記19章9~18節

2020年9月13日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生 師)

【序】聖なる者となる
 レビ記19章より、信仰者としてのきよい歩みについて学んでいます。中心は5節の「交わりのいけにえを主に献げる」こと、つまり礼拝です。主を礼拝し、主と親しく交わることが私たちのゴールです。そのゴールに到達するために、私たちの親を恐れ、安息日を守り、偶像礼拝を排することが必要です。そのようにして神様は私たちが確実に主なる神様とお会いできるように、導いて下さっていることを前回の礼拝で学びました。
 今日はその続きです。その続きですが、やはり5節の礼拝から始めなければなりません。なぜならば本日の個所に記される人間関係における様々な掟は、礼拝によって聖なる神様と出会った結果として与えられる祝福だからです。日曜日の礼拝が、その後の一週間を決定するくらい、礼拝は大事です。

【1】 貧しい者に対する配慮
 9~10節の個所で最初に命じられる掟は、貧しい者、寄留者たちを大切にしなさい、という命令です。イスラエルの民は収穫の際に、作物を刈り尽くしてはならない、落ち穂を拾ってはならないと命じられました。貧しい人たちがそれらを拾って生きていくためです。
 この麗しい習慣が実践された例が、ルツ記に記されています。ナオミと共にベツレヘムにやってきたモアブ人の女ルツ。このルツが今後、どのように生きていったらよいのか、それがナオミの心配でもありました。しかし、ルツはナオミの親類であるボアズの畑で働くように導かれます。ボアズはルツに自分の畑で働くように言い、しもべたちには収穫の際にルツのために、わざと落ち穂を落とすように命じるのです(ルツ2の15~16)。ボアズのルツに対する優しさは、神の命令に従った結果でした。みことばに基づく親切だったのです。
 やがてボアズはルツとの結婚に導かれます。そして子どもが与えられるのですが、その子どもの孫がダビデです。そして、それから1000年近くもの時間を経て、この家系からイエス・キリストが誕生します。みことばに従う者を神がどんなに祝福して下さるかがわかります。私たちも貧しい者、寄留者に対する配慮を忘れてはいけません。

【2】 不正をしてはならない
 10節から始まる箇所においては、盗むな、欺くな、偽るな、虐げるな、かすめるな、不正をするな、障がい者を虐げるな、不正な裁判をするな…と多くの掟が続いていきます。これらを一言で言うなら「不正をするな。正しい者であれ」、そして、そのことによって「神の名を汚すな」ということになります。
 同時に、弱い者をひいきにするな、同胞を正しくさばけ、という掟もあります。私たちは小さき者、弱い者を大切にしなければなりません。しかし、そのために正義が歪められることがあってはいけません。人に対する優しさも愛も、神の義を土台にする必要があります。
 私たちの優しさや愛は時々、正義が犠牲になった優しさ、罪が曖昧になった愛になってしまうことがあります。それは本当の優しさ、本当の愛ではありません。愛は不正を喜ばず、真理を喜ぶからです。(Ⅰコリント13の6)

【3】 隣人を自分自身のように愛する
 17節からの個所では、心の中で憎むな、復讐するな、恨むな、という掟が記されています。神様は私たちの内側に注目されます。私たちは、外側のまじめさに拠り頼み、自分のありのままの姿を見つめない傾向をもっているように思います。まじめなクリスチャン程、その傾向が強いように思います。私たちは内側から清められなければなりません。
 その上で命じられていることが、隣人を自分自身のように愛することです。イエス様も重要な戒めは二つしかない、と語られました。それは神を愛することと、隣人を自分のように愛することです。人間関係における掟のすべては、この「あなたの隣人を自分自身のように愛せよ」という掟に集約されるのです。

【4】 まとめ
 今日の個所に記されるたくさんの掟は実は、私たちの力では、どれも守ることはできません。私たちは自分の力で隣人を愛することもできないのです。そこで私たちはこの箇所で何度も繰り返される「わたしは主である」ということばに注目しなければなりません。なぜ神様は、これらの掟の合間合間に五回も、この宣言を繰り返されたのでしょうか(10、12、14、16、18)。それは、主である神様を覚え、この方に信頼しなければ、私たちは隣人を自分のように愛することができないからです。
 私たちはキリストと出会い、悔い改めに導かれ、その時与えられる聖霊に委ねて初めて、みこころに添って歩む者となります。神を愛し、人を愛し、そのようにして私たちが聖なる者とされるのは、私たちの内に働く御霊のみわざなのです。
聖霊の働きを拒むことがありませんように、自分の行いによって自らを誇ったり、逆に劣等感に苦しんだりすることがありませんように。みことばに信頼し、みことばを通して働かれる御霊の力に委ねましょう。主なる神様によって、私たちの内側から造りかえられていきましょう。