わたしがあなたがたの神、主である  レビ記18章1~5節

2020年8月30日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生 師)

【1】 主の掟(おきて)をなぜ守るのか
 レビ記18~20章は「清潔律法」と呼ばれ、道徳的な禁令と命令とによって構成されています。イスラエルの民が聖なる民として、具体的な人間関係や、実際の日常生活の中で守らなければならない多くの掟が記されています。信仰者たちは礼拝の時だけではなく、普段の生活の中でも聖なる者として歩むことが求められたことがわかります。
 この世にもたくさんの掟やルール、決まり事があります。なぜそれらを守る必要があるのでしょうか。おそらく、他人に迷惑をかけないため、それぞれの安心と安全のため、そして、私たちの健やかな生活のため、ということになるのではないでしょうか。
 それでは信仰者はなぜ聖書に定められた掟を守る必要があるのでしょうか。それは私たちの神様が「私たちの主」だからです。「清潔律法」の冒頭で、神様はモーセを通して宣言されました。「わたしはあなたがたの神、主である。(1)」 同じ宣言を4節と5節でも繰り返しています。そして、これから読み進めていく箇所において、この宣言が頻繁に繰り返されていきます。私たちが主の掟を守る理由は、まさに、神様が「わたしたちの主」だからです。
 神様はイスラエルの民を選び、エジプトから救い出し、契約関係を結んで下さいました。イスラエルは神様にとって「宝の民」であり、神様との特別な関係に加えられたのです。同じように、私たちも神様によって選ばれ、召し出され、救いを与えられ、神の子どもとしての特別な関係に導き入れられました。私たちを愛し、私たちに期待しているからこそ、神様はこのような恵みを私たちに与えて下さったのです。
 神様は私たちの主です。この関係を意識するからこそ、私たちは主の掟を守ります。でもこの特権を私たちは自覚できなかったり、見失ったり、忘れてしまうことがあります。
 復活の主と出会えなかったトマスも、ひと時、不信仰になってしまいました。しかし復活のイエス様がトマスと個人的に出会って下さった時に、トマスは「私の主、私の神よ(ヨハネ20の28)」との告白に導かれました。私たちも復活の主がともにおられることを覚え、この方に心からお仕えしていきましょう。
 
【2】 どんな掟を守るのか
 さて、イスラエルの民が守らなければならない掟として、最初に命じられていたことは何だったでしょうか。それは、かつて彼らが住んでいたエジプトの地の風習をまねてはならない、さらに、これから導かれるカナンの地の風習もまねてはならない、彼らの掟に従って歩んでもならない、というものでした(3)。
 それらは一体どんな風習だったのでしょうか。最初に告げられた内容は、読むこともためらわれるような恥ずかしく淫らな行為の数々です。近親相姦、重婚、性的放縦…「動物によって身を汚してはならない」と言った命令まで出てきます。
 このような淫らな行為は実は、エジプトやカナンにおいては普通に行われていた風習でした。イスラエルの民はエジプトから救い出されて、約束の地カナンに向かう途中でしたが、カナンの地も、かつて彼らがいたエジプトと同じように罪に汚れた地だったことがわかります。その地に入っていった時に、その土地の風習をまねることがないようにと、神様があらかじめ警告を発しておられたことがわかるのです。
 今のこの世においても、性的な乱れが満ちています。以前であれば歌舞伎町などの限られていた地域に限定されていた誘惑が、インターネットやスマホを通して日々、私たちの生活の中に入ってきます。しかも、この世ではそれらがあまり異常ではなく、普通のこととして受け止められています。眉をひそめる大人たちはいても、それらの罪の深刻さと危険とを警告する人はほとんどいません。人間の欲望がそのまま肯定されてしまっている今の世の中です。クリスチャンであってもそのような世の中にあって誘惑されてしまうことが非常に多いのです。
 しかし、聖書はその結果をはっきりと告げています。29節に「だれであれ、これらの忌み嫌うべきことの一つでも行う者、それを行う者は自分の民の間から断ち切られる」。そのような罪を一つでも行う者があれば、その人は断ち切られる、これが聖書の警告です。この警告を私たちは恐れをもって受け止めなければなりません。

【3】 まとめ
 信仰者になっても、この世との戦いは続いていきます。そんな戦いの中にあって、私たちはどのように勝利していくのでしょうか。それは私たちの主である神様を覚え続けること、そして、この方のことばを信じて、この方のことばにすがって生きることです。もし罪を犯したなら、その罪を悔い改めて180度方向転換をして、みことばに信頼して歩むことです。その時に私たちは主にあって生きる者とされます。私たちの主である神様に、心からお仕えしていきましょう。

【祈り】
自分の願望や欲望によってではなく、主のみこころに従って歩めるように。