主のために祭壇を築く         創世記12章1~9節

2021年7月11日 飯能キリスト聖園教会      礼拝説教要約(若井和生師)

 7~8月は「祈り」をテーマにし、アブラハムの祈りの姿に注目します。

【1】 新しい出発
 神様はある時、アブラハムを新しい出発へと召し出されました。アブラハムにとって75歳の新しい出発です。
 神様はアブラハムを「あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家」から召し出しました。アブラハムとその家族はその時、ハランという場所に住んでいました。その地で築いた生活も、人間関係や社会的地位も、さらに愛着さえも捨てた上での新しい出発でした。
 一方で神様は「わたしが示す地へ」アブラハムを導きました。「わたしが示す地」と言っても、その時には「その地」は示されていませんでした。アブラハムは「どこに行くのかを知らずして(へブル11の8)」出発したのです。行き先の見えない、目的地が定まらないままでの出発でした。
 しかし神様はアブラハムを目に見える物にしがみつく人生ではなく、目に見えない神様に信頼する人生へと召し出されました。確かに先は見えません。その過程で何が起こるのかもわかりません。でも主が伴って下さいます。その主に信頼して一歩踏み出す信仰が、アブラハムに求められたのです。
 クリスチャンの人生は「旅」にたとえられます。私たちにも先が見えないことがたくさんあります。でも、それでも主に信頼して私たちは歩んでいくのです。

【2】 祝福の基
 アブラハムが主のことばに信頼して歩み始める時に、何が起こるのでしょうか。神様はアブラハムを祝福して下さると約束して下さいました。神様に信頼して従っていく時、神様は私たちにも祝福を約束して下さいます。
 神様は三つの祝福をアブラハムに約束してくださいました。①アブラハム自身が祝福されること(2)、②アブラハムを祝福する者が祝福されること(3a)、③アブラハムを通して地のすべての部族が祝福されること(3b)。つまりアブラハム自身が神様の祝福を全地にもたらす、祝福の基とされることがわかります。
 神様は信仰をもって神様に従う者たちを祝福し、さらにその者を祝福の基として下さいます。私たちを祝福されることによって私たちが属する私たちの家族、職場、学校、地域が祝福されていきます。神様の祝福が私たちを通して、私たちが出会う人々に、もたらされていきます。
 私たちはそのような「祝福の基」とされた自覚をもっているでしょうか。神様の祝福のご計画の中に私たちが置かれていることをさらに強く覚える者となりたいと思います。

【3】 祭壇を築き祈る
 このような主からの命令と約束をいただいて、アブラハムは出発しました。みことばに従って出発はしたものの、不安と恐れがいつも、つきまとっていたことでしょう。どこに行っても初めての知らない土地です。そこはアブラハムの知らない異教徒たちの地です。どこに住めばいいのか、どのようにその地に入っていったらよいのか、どこが最終目的地なのか、知らないことばかりでアブラハムはいつも不安だったと思います。
 しかしアブラハムがシェケムに来た時、主は現れてくださいました。そして「わたしは、あなたの子孫にこの地を与える」と約束して下さいました(7)。みことばとみこころが示されて、アブラハムは深く安堵したことでしょう。アブラハムはそこに祭壇を築きました。それ以後、アブラハムは旅の途中、どこに行っても祭壇を築くようになりました。神様との交わりを大切にしたのです。
 アブラハムにとって祈りとは何だったでしょうか。それは人生の旅路に伴って下さる主なる神様との親しいお交わりです。私たちの多くにとって祈りとは、自分の願いをかなえてもらうことかもしれません。しかし、アブラハムにとっては神様と親しく語り合うこと、それが彼にとっての祈りだったのです。
 しかもアブラハムはまず祭壇を築きました。アブラハムが罪人としての自分の罪を意識していたことがわかります。祭壇の上でアブラハムは犠牲のいけにえを主にささげました。自らの罪の解決なしには決して神様に近づけないことをアブラハムは意識していたのです。その上でアブラハムは祈りました。
 アブラハムにとって祈りとは、神様との友人のような馴れ馴れしい語り合いではありませんでした。罪人である自らを意識しつつ、恐れをもって主に語りかける神様との対話だったのです。

【4】 結び
 私たちの主である神様は私たちの旅路にいつも伴ってくださいます。私たちはいつでも主と語り合うことができます。しかし私たちに求められていることは罪人としての意識をもちつつ、赦された者として主に語りかけるということです。
 私たちもまず祭壇を築きましょう。イエス・キリストの十字架を仰ぎましょう。そして私たちのために死んで下さったイエス・キリストの御名によって祈りましょう。私たちの旅路に伴って下さる主なる神様との語らいが、いよいよ豊かなものとされていきますように。