死につながれていることなど、あり得ない      使徒の働き2章22~24節

2021年6月6日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 「主の御名を呼び求める者はみな救われる(21)」。ペテロは預言者ヨエルのことばを語りながら、「終わりの日」とは、すべての人に救いの道が開かれている時であること、主の御名を呼び求める者は誰でも救われることを、人々に伝えました。
 その上でさらに語ります。「イスラエルの皆さん、これらのことばを聞いてください(22)」。ペテロには人々にどうしても聞いてほしいことがあります。それは、イエス・キリストについてでした。人々が救われるかどうかは、イエス・キリストを信じるかどうかにかかっていたからです。

【1】 神の子イエス
 イエス・キリストを信じる時、人はなぜ救われるのでしょうか。第一に、イエス様は人となって来られた神だからです。
ペテロは人々に、ナザレ人イエスが人々の間で行った数々の力あるわざと不思議としるしは、神を証しするものだった事実を伝えました(22)。イエス様によって目の見えない人の目が開かれ、足の不自由な人が歩き、ツァラートに冒された人たちがきよめられました。耳の聞こえない人が聞き、死人が生き返り、貧しい者に福音が伝えられました。これは旧約聖書の預言の成就でした(イザヤ35の5、6)。救い主が到来するというメシア預言が、イエス・キリストの到来によって成就されたのです。イエス様はまさに人となられた神ご自身でした。
 ところがイエス様によってなされたみわざの数々を見てもイエス様を信じない人たちがいました。パリサイ人たちはイエス様が「悪霊どものかしらによって悪霊どもを追い出しているのだ」と言いました(マタイ9の34)。また、イエス様によって行われるしるしは求めるのに、イエス様自身を求めない人もたくさんいました。イエス様によってなされる神のみわざを見ても、信じない人は信じなかったのです。
 私たちにとってイエス・キリストとはどのような方でしょうか。イエス・キリストは人となられた神です。私たちを神の下に導く救い主なのです。

【2】 イエスの十字架
 イエス・キリストを信じる人はなぜ救われるのでしょうか。二番目にイエス様は私たちの罪のために十字架にかかり死んで下さったからです(23)。ペテロは次にイエス様の十字架を語り、十字架のもつ二つの意味について伝えています。
 第一に、神が定めた計画と予知によってイエス様は十字架に引き渡されました。第二に人々がイエス様を、律法を持たない人々の手によって十字架につけて殺しました。イスカリオテのユダ、祭司長たちや律法学者たち、群集、ポンテオ・ピラトらの手によってイエス様は十字架にて処刑されました。罪人である人間の策略によってイエス様は葬り去られたのです。
 しかし、それは神によって定められていたことでした。人間の罪を負って身代わりとなってさばかれるために、イエス・キリストは神によって用意された贖いの子羊だったのです。敗北に見える十字架が実は勝利でした。イエス様は十字架の死によって私たちを神の下に導いて下さったのです。

【3】 イエスの復活
 イエス・キリストを信じる人はなぜ救われるのでしょうか。第三に、イエス様は復活されたからです。ペテロは、神がイエス様を死の苦しみから解き放ち、よみがえらせた事実を語りました(24)。その理由は「この方が死につながれていることなど、あり得なかったから」(24)。神であられるイエス様が、いつまでも死につながれていることなどあり得ないことでした。神は死に勝利され、死そのものを滅ぼすことのできる方だからです。
 主イエスを信じる者は、イエス・キリストにある復活のいのちによって生かされます。バプテスマは信じた者がイエス・キリストとともに死に、イエス・キリストのいのちに生かされる者とされた恵みを表しています。主イエスをよみがえらせた神様が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、御前に立たせて下さるのです(Ⅱコリント4の14)。

【4】 結び
 私たちの救いは、このイエス・キリストを信じるかどうかにかかっています。生前に神ご自身のみわざを行い、私たちの罪のために十字架にかかり、復活されて死に勝利されたイエス・キリストを信じるかどうかにかかっているのです。
 今は預言者ヨエルが預言したところの「終わりの日」です。神の刑罰の日が迫っています。その警告としての不思議としるしが、天でも地でも現わされています。しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われます。この主イエス・キリストを信じるならば、どんな人でも、どんな状態でも救われます。だから私たちはこの救い主イエス・キリストを宣べ伝えなければなりません。
 キリストを証ししていきましょう。一人でも多くの人々が、私たちの家族や友人がキリストを仰ぎ、御名を呼び求めることができますように、この方を信じることができますように、祈っていこうではありませんか。

【祈り】私たちの家族・友人らが救い主イエスを信じることができるように。