復活の証人                使徒の働き2章25~36節

2021年6月13日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 福音の中心はイエス・キリストです。私たちの信仰もイエス・キリストを知っているかどうかにかかっています。ペンテコステの日に、ペテロはキリストのみわざについて、十字架について、そして復活について語りました。さらにペテロはダビデが「この方」つまり、イエス・キリストについて預言していた事実を、詩篇16篇を紹介することで伝えています。

【1】 ダビデの預言
 詩篇16篇は喜びの詩篇です。「私の心は喜び、私の舌は喜びにあふれています(26)」「私を喜びで満たしてくださいます(28)」と、詩篇の作者はあふれるほどの大きな喜びを味わっています。
 この詩篇は「神よ、私をお守りください」という告白から始まるので、危機的な状況の中で歌われた詩篇であることがわかります。危険が迫っている中にあって、これだけ大きな喜びが味わえるのはなぜなのか。それは、「私がいつも主を前にしているから」、そして「主がいつも私の右におられるから(25)」です。
 しかもその喜びは「望み」に基づいていることがわかります(26)。その望みとは神様が「私のたましいをよみに捨て置かず、滅びをお見せにならないから(27)」。つまり死ぬことがあっても決して滅びることがないのです。
 この詩篇は、ダビデがキリストの復活について預言した詩篇である、とペテロは主張しました(29~31)。やがてメシアと呼ばれる救い主が来る、との旧約聖書の預言の成就がイエス・キリストでした。イエス様はダビデが預言した通りに復活されたのです。
 旧約聖書の先人たちは救い主をただ待望するだけでした。しかし、新約時代に生かされている私たちは復活の主を知っています。この方のいのちに生かされています。詩篇16篇は私たちの心からの告白なのです。

【2】 復活の証人
 その恵みを、ペテロを始めとする弟子たちもかみしめていました。それが32節のペテロの告白に表されています。

「このイエスを、神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。」

 その事実を目撃し、体験し、知っている人だけが「証人」となります。弟子たちは復活の主と出会いました。イエスが死に勝利され生きておられることを知っています。彼らはイエス・キリストの「復活の証人」とされたのです。
 さらに重要なのは、聖霊がその事実を弟子たちに明らかにしてくださったことです。イエス様は復活された後、昇天され、神の右に上げられ、そこから約束された聖霊を弟子たちに注いでくださいました(33)。その聖霊の解き明かしによって、弟子たちは目が開かれ、イエス・キリストについてはっきりと知ることができたのです。
 イエス様は「真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます」と教えてくださいました(ヨハネ16の13)。真理の御霊が弟子たちに明らかにして下さいました。旧約聖書の語っていることの意味、イエス様が旧約聖書の預言しているメシアであること、預言の通りにイエス様は死んで葬られ、しかし復活されたこと、その後、天に戻り聖霊を弟子たちに下さったこと。その一連のみわざのすべてを、聖霊の導きによって弟子たちは理解できたのです。
 その結果、弟子たちはキリストの証人とされました。まさにイエス様が約束して下さったように聖霊が臨むときに彼らは力を受け、キリストの証人とされたのです(使徒1の8)。 

【3】 証人になる力
 「キリストの証人」となるために必要なものは何でしょうか。それは聖書の理解です。しかも聖霊によって、聖書の全体像が解き明かされることが必要です。みことばが聖霊によって解き明かされ私たちに示される時、私たちは力を受けます。そしてキリストの証人とされていくのです。
 つまり福音を証しする力は福音そのものの中にあります。私たちの中にはありません。方法論や技術でもありません。私たちのふるまいや話法やしぐさを通して福音が伝わるのでもありません。その知恵も力も全部聖霊が与えるものです。何を語るべきかは聖霊が私たちに示して下さいます。そうでなければ私たちの証しは全く効果的ではありません。人の心に響くものになっていきません。聖霊が働いて下さるからこそ、キリストが証しされ、みことばが伝わり、人々の人生が変えられていくのです。
 私たちがキリストを証しする際に、人間の力に拠り頼んでしまうことがありませんように。神のみことばそのものに向き合って、みことばを学ぶことができますように。そして聖霊が豊かに働いてみことばを解き明かして下さいますように。聖書と聖霊の導きの中で、わたしたちも主イエス・キリストの復活を証しするキリストの証人としていただきましょう。

【祈り】私たちの証しを通して救われる人が起こされますように。そのためにみことばに拠り頼み、聖霊の導きに従うことができますように。