青年は幻を見、老人は夢を見る     使徒の働き2章14~21節

2021年5月30日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 聖霊に満たされた弟子たちが、様々なことばで神のみわざを語るのを見て、このように語る人がいました。「彼らは新しいぶどう酒に酔っているのだ(13)。」聖霊に満たされた弟子たちの姿は、まるで酔っているように見えたことがわかります。それは人々の誤解であり偏見でした。しかし、その誤解と偏見がきっかけとなり、ペテロは大胆に福音を語り始めたのです。

【1】 聖霊に満たされたペテロ
 ペテロは他の11人とともに立って、声を張り上げ、人々に語りかけました。11人の弟子たちがペテロとともに立ったのです。語っているのはペテロだけでしたが、他の弟子たちも同じ心でペテロをサポートしていることがわかります。そのようなサポートを受け、ペテロは大声で話し始めました。
 「ユダヤの皆さん…このことを知っていただきたい。私のことばに耳を傾けていただきたい(14)。」ペテロにはそこに集まっていた人々に、どうしても知ってもらいたいこと、聞いてもらいたいことがありました。そんなペテロの強い気持ちと、それを伝えたいという熱い情熱を感じさせられます。
 以前、イエス様を「知らない」と三度否定してしまったあの時のペテロでは、もはやありません。一体何が起こったのでしょうか。聖霊に満たされました。聖霊の力をいただいて大胆にされたペテロの姿がここに示されています。

【2】 みことばへの信頼
 ペテロが「知っていただきたい」と訴えたことの内容は何だったでしょうか。ペテロは、その時が朝の9時であり、それゆえに弟子たちが酔っているのではないことを確認した上で、預言者ヨエルによって語られた預言のことばを語り始めました(ヨエル書2章28~32節)。このことばを語ることによって、ペテロはその時エルサレムで起こっている現象が、預言者ヨエルによって語られた預言の成就であることを告げているのです。
 ペンテコステの日の出来事がどうして預言者ヨエルの預言の成就だと、ペテロは知ったのでしょうか。聖霊なる神様がそのようにペテロに教えました。聖霊がペテロに聖書のことばを理解させたのです。聖霊に満たされた結果、ペテロは聖書の真意を理解することができました。それゆえにペテロは大胆に福音を語り始めたのです。
 聖霊に満たされると私たちはなぜ力を得るのでしょうか。それは聖霊が私たちに、みことばを悟らせるからです。私たちのみことばに対する信頼が深まるからです。そのようにして私たちはみことばの確信をいただいて、大胆に語る者へと変えられていくのです。みことばを語る時だけでなく、みことばに聞くと時にも聖霊が必要です。聖霊が私たちにみことばを理解させ、その聖書に対する信頼と確信に支えられ、私たちは語る者とされていくのです。 

【3】 終わりの日の到来
 ペテロが語ったヨエル書のことばは、「終わりの日」についてのことがらでした。終わりの日と呼ばれる終末の時が、やって来ることがわかります。
 その日は第一に、すべての人に聖霊が注がれる日です。その結果、息子、娘、青年、老人、しもべ、はしためなど、ごく普通の人が神のことばを語り始めます(17~18)。
 第二にその日は、「天に不思議、地にもしるしが現れる日(19)」です。かつてモーセの時代に、エジプトにも不思議としるしが現れた時がありました(出エジプト7の3)。ナイル川の水が血に変わったり、イナゴやカエルやアブなどが押し寄せたり、雹が降ったり、エジプト全土が闇に覆われてしまったりしました。それらはすべてやがて来る神のさばきの警告だったのです。「終わりの日」には、同じような神の警告が現れることがわかります。
 第三にその日は、「主の御名を呼び求める者はみな救われる日(21)」です。大いなるさばきの日がやってきます。神に背く人々に、恐るべき刑罰が下される日です。しかしそれでも、主の御名を呼び求める者はみな救われます。大事なことは主の御名を呼び求めること、その人は誰でも救われます。
 このような預言者ヨエルが預言した「終わりの日」が、ペンテコステのその日に到来しました。聖書の預言がその時まさに、成就しました。ペテロはそんな「終わりの日」の到来を人々に告げ知らせたのです。

【4】 結び
 聖書で預言される「終わりの日」が、ペンテコステの日に到来し、今、まさにその日が続いていることを覚えたいと思います。それはイエス・キリストを信じるすべての人に聖霊が注がれている日です。そして大いなるさばきの日のために、様々な「不思議としるし」が行われている日です。そしてイエス様の御名を呼び求める人はだれもが救われる日です。
 私たちもペテロのように聖霊の力をいただいて、大胆に語りたいと思います。時が迫っています。さばきの日が近づいています。この時代に生かされている私たちに与えられているつとめは「宣教」です。一人でも多くの人々が救われるように、私たちは聖霊の力を受けて福音を語っていきましょう。