御霊のうめき ローマ人への手紙8章26~27節

2020年5月24日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生 師)

 キリスト者は苦難の中でも喜びと平安をもって歩むことができるのはどうしてでしょうか。その理由について、ローマ人への手紙8章から学んでいきたいと思います。第一の理由は先週学びました。私たちが未来に希望をもっているからです。今の時の苦難は、やがて啓示される栄光に続いていきます(18)。その希望のゆえに私たちは苦難の中にあっても忍耐することができるのです。
 今日は二番目の理由について学びます。なぜキリスト者は苦難の中でも喜びと平安をもって歩むことができるのでしょうか。それは、苦難の中に、ともにいて下さる助け手を知っているからです。

【1】 助け主である御霊

 「同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。(26)」

 私たちの助け手とは、神様によって与えられた御霊、つまり聖霊なる神様です。この御霊が、イエス様の代わりに神様から私たちに与えられた最大のプレゼントです(ヨハネ14の16)。この御霊が与えられて弟子たちは全く変えられ、教会が誕生しました。この御霊の働きによって、主の働きが今に至るまで世界中で展開されてきました。
 この御霊なる神様が、イエス・キリストを信じるすべての信者たちに与えられています。この方の別の名前は助け主(パラクレートス)。この助け主が「いつまでもあなたがたとともにいる」と、イエス様は約束して下さいました。よって信者である私たちの心の中にも、この方がおられるのです。
 私たちにとっての大きな不幸は、私たちの中でおられるこの御霊の存在を、私たちが本気になって信じようとはしないことです。その結果、私たちはキリスト者であっても罪による敗北を繰り返し、表面的・形式化した信仰に留まり、喜びも感謝も乏しく、自分勝手な信仰者であり続けるのです。そして結果的に、聖霊を悲しませてしまうのです(エペソ4の30)。
 その最大の原因は、私たちが自分の弱さを認めようとしないことにあります。私たちは自分の弱さと向き合うのが不安で、また弱さを知られるのが怖くて、つい強がってしまいます。それゆえに私たちは御霊の必要を認めないのです。
 御霊は、弱い私たちを助けて下さいます。弱さを自覚していなければ、御霊の助けは必要ありません。コロナ危機の中、私たちは何を示されているのでしょうか。私たち自身の弱さと向き合うよい機会を与えられているのではないでしょうか。神の力は弱さの内に働かれます。私たちの頑なな自我と高慢を、主が打ち砕いて下さり、御霊の助けを豊かに経験できるように祈りましょう。

【2】 祈りを助けてくださる御霊
 私たちの弱さはどの部分に一番顕著に表れるでしょうか。祈りの乏しさに表れます。私たち信仰者は祈ることを知っています。しかし、私たちの祈りはなかなか深まっていかず、表面的で、そのうち疲れてしまいます。今、コロナ危機の中で、どれだけ私たちの祈りが必要とされているでしょうか。祈りの必要を感じてはいても、私たちはなかなか祈ることができないのです。
 しかしそんな私たちのために与えられているのが御霊です。私たちは何を、どう祈ったらよいか分からないのですが、そんな時、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、私たちのためにとりなしてくださっている、と26節で教えられています。私たちの祈りは私たちの抱えている問題によって、著しく妨げられています。みこころに沿って祈ることのできない私たちのこの苦しみを、御霊はわかっておられ、うめきとともに、とりなしておられるのです。
 同時にこの方は、神のみこころもご存じです。私たちの心をすべて知り尽くしておられる神のみこころもよくわかっていて、聖徒たちのためにとりなしてくださっています(27)。つまり、みこころにかなわない私たちの極めて人間的な思いと、神のみこころの狭間に立って、私たちの祈りが本当に父なる神に届くものとなるように、とりなして下さっているのです。私たち信仰者にとって、これ程重要で、同時にこれ程、見過ごされている真理も他にないのではないでしょうか。
 苦しい時、祈ることができない時、私たちが思い出さなければならないのは、私たちの内側に住む御霊が、私たちのために祈って下さっているという事実です。この方の祈りを意識し、この方の祈りに私たちの祈りを合わせていく時、私たちの祈りは父なる神の下に導かれていきます。そして私たちの心は御霊に満たされ、御霊に導かれ、その結果、御霊の実を結ぶ者となるのです。

 私たちは父に向かって、子を通して、さらに御霊によって祈ります。(エペソ6の18)。私たちにとって一番身近におられる方が、一番遠くに感じられているとするなら、それは私たちにとって何と大きな損失ではないでしょうか。
 御霊なる神様が私たちの内に住んでおられることを、私たちは信じましょう。この方に、私たちの心の住民となっていただきましょう。そして、私たちのためにうめいておられるこの方の祈りに合わせて、私たちも祈ろうではありませんか。

【祈り】
私たちの自我と高慢が砕かれて、御霊の助けを豊かに経験できますように。