心を一つにして祈る         使徒の働き1章12~26節

2021年5月9日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 聖霊を受けるためにイエス様が弟子たちに命じたられたこと、それは「エルサレムから離れないで…父の約束を待ちなさい(4)」でした。弟子たちは約束の聖霊を受けるために、どのように待ったのでしょうか。

【1】 聖霊を待ち望む祈り
 イエス様が天に帰られた後、弟子たちはイエス様の命令に従い、エルサレムに戻りました。そして泊まっている家の屋上の部屋に上がって、祈りました。彼らは祈りながら、聖霊を待ち続けたことがわかります。
 聖霊が与えられることは父なる神様の約束でした。神様の約束であるならば、その実現の時をただ待っていればよかったのではないでしょうか。しかし、弟子たちは祈りつつ、約束の実現の時を待ちました。神の側の約束と、人間の側の信仰が連結した時に、神のみわざがなされていくことがわかります。
 神様は私たちにも聖霊を与えて下さいました。それは神様から私たちに与えられた約束です。その約束が自分の中で実現されるよう、私たちはどれだけ祈っているでしょうか。聖霊に満たされるために、私たちも祈っていきたいと思います。
 
【2】 心を一つにした祈り
 そこでささげられた祈りには二つの特徴があったことがわかります。第一にそれは心を一つにした祈りでした。その屋上の部屋に集まったのはイスカリオテのユダを除く11名の弟子たち、女たちとイエス様の母のマリアとイエス様の兄弟たちでした。その彼らが心を一つにして祈ったのです(14)。
 当時、男性たちが婦人たちと同じ部屋で共に祈るという習慣はありませんでした。よって、当時の常識からは外れる新しい共同体の姿が、ここに誕生していることがわかります。
 さらに弟子たちが心を一つにして祈るのも、今まではなかったことでしょう。以前の弟子たちは「誰が一番偉いのか」と競い合っているような複雑な間柄でした。心を一つにして祈ることは、当時の彼らにはとてもできなかったと思います。
 このような様々な背景を抱える人々が一同に会するだけでなく、心を一つにして祈ることができたのはなぜなのか。それは、彼らが共にイエス様の十字架によって罪赦され、復活の主と出会うという恵みを体験したからです。イエス・キリストの恵みによって彼らは一つとされたのです。
 私たちが心を一つにして祈るために必要なことは何でしょうか。それは、イエス様を共有することです。ともにイエス様に恵みに預かることです。そして一人ひとりとイエス様を中心として出会うことです。その時に私たちも心を一つにして祈ることができるのです。

【3】 熱心で真剣な祈り
 二番目に彼らは「いつも…祈り」ました(14)。その祈りはとても熱心で真剣な祈りだったことがわかります。「いつも」と訳されていることばの意味は「没頭する」「くっついて離れない」「固執する」という意味のことばです。ある人はこの箇所を「祈りに忙しかった」と訳しました。
 「祈りに忙しい」などと言える時が私たちにはあるでしょうか。祈り以外で忙しくしていることの多い私たちです。しかし、弟子たちは「祈りに忙しい」と言えるくらい熱心に真剣に祈り続けました。
 聖霊が彼らの上に降るのは10日後のことでしたので、彼らは10日間祈り続けたことがわかります。つまり10日間は、祈っても聖霊は与えられなかった、ということです。10日間は結果が出なくても忍耐深く祈ったということです。
 私たちは祈っても結果が出ないとすぐにあきらめてしまう傾向があるのではないでしょうか。祈りには忍耐が必要です。結果がすぐに出なくてもあきらめないで祈り続ける必要があります。

【4】 教会が誕生するために必要な祈り
 私たちの祈りが長続きしないのは、もしかすると、主から与えられる結果ばかりを期待しているからかもしれません。それゆえに結果が出ないと、すぐにあきらめてしまうのです。
 しかし祈りの本当の祝福は祈りの中で主ご自身を深く知ることです。結果が出る出ないに関わらず、父なる神様との親しい交わりを経験する、ということです。結果の出ない10日間の祈りの中に、弟子たちは神様との交わりが深められていく恵みを経験したのではなかったでしょうか。
 そして10日後、イエス様の復活から数えて丁度50日目に時満ちて、聖霊が彼らの上に降りました。約束されていた聖霊が、彼らの祈りの結果として、彼らの上に注がれたのです。その聖霊によって弟子たちは力を受け、さらに、教会が誕生しました。
 私たちが力を受けるために必要なものは聖霊です。さらに、教会が霊的に覚醒されるために必要なものも聖霊です。その聖霊に満たされるために私たちは祈らなければなりません。聖霊を待ち望みましょう。そのために祈りましょう。心を一つにして、熱心に真剣に祈り続けようではありませんか。