私に従いなさい        ヨハネの福音書21章18~25節

2021年4月25日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 弟子たちは、復活の主イエス様との生きた交わりによって、心もたましいも満たされました。さらにペテロは、イエス様との深い個人的な交わりによって心の傷を癒され、イエス様との愛の交わりは完全に回復しました。
 この箇所を通して、私たちの信仰生活とは主イエス・キリストとの愛の交わりであることを教えられます。私たちにとって大事なことは、信仰によって自己実現をはかることではありません。愛し、愛され、愛の交わりの中に生かされること。主イエスとの交わりを通して、ペテロもそのことを学びました。

【1】 死をもって栄光を現わす
 イエス様は続けてこのようにペテロに語られました。「あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。(18)」 イエス様がこのように言われたのは、ペテロがどのような死に方で神の栄光を現わすかを、示すためであったことがわかります(19)。
まるで、若い時には望むままに生きることができたのに、年をとると自由が奪われてしまうかのようです。信仰生活とは、様々な制約がある窮屈な生き方なのでしょうか。年齢が増すにつれ、そうなってしまうのでしょうか。
このことばから二つのことを教えられます。第一に、私たちの人生のすべてを主はご存知だということです。私たちのこれからのこと、私たちの死の時も、どのような死に方をするかも、主はご存知なのです。私たちの人生のすべてが主の御手の中にあることがわかると、私たちは安心です。
二番目に、私たちは自らの死をもっても主の栄光を現わすことができます。よって私たちの死は決して無駄な死ではないのです。生きている時はもちろん、自らの死をもっても主の素晴らしさを私たちは証しすることができます。ペテロはこのことば通りにやがて殉教し、自らの死をもって主の栄光を現わしました。
 自分の願いや思い通りに歩める人生が私たちにとって、果たして幸せな人生なのでしょうか。この世の人々は皆、そう考えます。しかし、そのような幸福感であるならば、自分の思い通りにいかなくなるに連れて不平不満が大きくなってしまうことでしょう。思い通りに何でもできた若い頃は幸福でも、年をとって不自由になるに連れて幸福感は薄れてしまいます。
 私たちにとって本当に幸せなことは、私たちをよく知っておられ、私たちを完全に受け入れ、私たちを無条件に愛して下さる方との愛の交わりに生かされることです。自分のすべてを捨ててもこの方に従っていきたいと思える対象を私たちがもっていることです。イエス様は最後にペテロに「わたしに従いなさい」と命じられました。これは、単なる服従を要求しているのではなく、イエス様との個人的な愛の交わりの中に、ペテロを招いているのです。
 
【2】 他人ではなく自分
 「わたしに従いなさい」と問われたペテロは、後ろを振り向いて、ついてきたヨハネ(イエスが愛された弟子)を見て「主よ、この人はどうなのですか」とイエス様に尋ねました(21)。ペテロ自身が問われているのに、ヨハネのことが気になってしまいました。
 ヨハネに対して抱くライバル心のゆえなのか、あるいは自分だけがイエス様から先に召し出されることをヨハネに申し訳なく思ってしまったからなのか。いずれにせよ、ペテロはヨハネのことが気になってしまいました。
 しかし今、イエス様から問われているのはペテロです。ヨハネにはヨハネに対するイエス様のご計画とご配慮があります。イエス様はヨハネに対してもふさわしく関わってくださいます。でも今大事なのは、ペテロがイエス様とどう向き合い、どうイエス様に応答するかです。
 私たちも神様からのメッセージを、他人事のようにして聞いてしまうことがあります。自分のことではなく他人のこととして、あるいは一般的なこととして受け止めてしまうことがあります。しかし、主は私たち一人ひとりに語りかけています。みことばを自らに語られていることばとして受け止めて初めて、私たちはみことばの力を経験することができます。そこで私たちが主から問われることは、私たちがそのみことばに従うのか、ということ。つまり、主に従うことです。
イエス様は再びペテロに命じました。「あなたは、わたしに従いなさい。」ペテロと同じように、私たちも主のみことばに聞き従い、主に従う者となりたいと思います。

【3】 結び
 「主に従う」ことをクリスチャンの単なる義務として、窮屈に考えておられるとするならば、それはとても寂しいことです。なぜならば主に従うとは、主の愛を知って、その愛に応えることだからです。そこには必ず愛の交わりがあります。主に愛されている喜びがあります。その主に私たちは心から仕えたくなるのです。
 イエス様は私たちのために死んで下さいました。そのイエス様は復活され、私たちを変わらずに受け入れ愛して下さいました。私たちの心の傷を癒し、恐れを取り除き、私たちをもう一度弟子として整えて下さいました。そして私たちを主のお働きのために豊かに用いて下さいます。
 私たちは生涯に渡って、この方に従っていきたいと思います。