私の羊を飼いなさい          ヨハネの福音書21章15~19節

2021年4月18日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 ガリラヤ湖畔にてイエス様が給仕して下さったパンと魚によって、弟子たちのお腹は満たされ、また心もたましいも満たされました。イエス様は彼らの食事が終わるのを待って、今度はペテロに個人的に語りかけます。ペテロにはさらに深い主の取り扱いが必要でした。

【1】 イエス様のペテロに対する深い取り扱い
 イエス様はペテロにこのように問いかけました。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」 ペテロのイエス様に対する愛を確認するための問いかけでした。
 このように問いかけられてペテロは辛かったことでしょう。なぜなら、ペテロはイエス様を愛することにおいて、かつて失敗していたからです。イエス様が十字架刑にて処刑される日の前夜、ペテロはイエス様のことを三度「知らない」と言ってしまいました。
 「この人たちが愛する以上に…」という部分はペテロにとっては特に辛く感じられたことでしょう。なぜならペテロはかつて「たとい皆があなたにつまずいても、私は決してつまずきません」と言い張っていたからです(マタイ26の33)。
 さらにイエス様は同じ質問を三度繰り返されました。三度目に問いかけられた時にペテロは「心を痛めた」ことが、17節に記されています。これらの問いかけは、イエス様を三度否定してしまったペテロのかつての失敗を思い起こさせる質問であり、ペテロの心の傷に触れる質問だったのです。
 もちろんイエス様はこのような質問をして、ペテロを苦しめようとしたわけではありません。かつて受けた仕打ちに仕返ししようとしているわけでもありません。イエス様はペテロが負ってしまった深い傷を癒そうとしています。
イエス様はペテロ以上に傷つきました。ペテロも挫折を経験し、自分自身に絶望し、深い傷を負いましたが、イエス様が負った傷の痛みは、それとは比べられないくらい激しいものでした。そんな傷を負ったイエス様だからこそ、ペテロの心の痛みをそのまま受け止め、理解し、傷ついた自らの御手をもってペテロの心に優しく触れ、癒して下さったのです。ペテロはまさに主の打ち傷のゆえに、癒されたのです(第一ペテロ2の24)。
 私たちも心の中で様々な傷を負っています。いつまでも癒えることなく痛み続けている傷もあります。その傷を癒して下さるのは、私たちの罪を担って自ら傷を負って下さったイエス様だけです。私たちの心をイエス様の前に差し出して、しっかり癒していただきたいと思います。


【2】 変えられたペテロ
 イエス様の問いかけに対して、ペテロは「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存知です」と答えました。実はイエス様はペテロに対して「わたしを愛(アガぺー)していますか」と問いかけました。これは神の愛のような無私の愛、無償な愛でわたしを愛していますか、との問いかけです。
 それに対してペテロは「私があなたを愛(フィレオ―)していることは、あなたがご存知です」と答えています。フィレオ―の愛とは、人間同士で交わされる親愛、友情、兄弟愛などを表しています。つまりペテロはここで、「イエス様の期待するような愛ではとてもあなたを愛せません。でも、自分の中にある限られた愛で精一杯あなたを愛したい。その思いをあなたはご存知です」と答えているのです。愛において全く自信はないけれども、あなたの愛に応えたいというペテロの複雑な思いを、そのままイエス様の前に告白しました。
 このことばを通してペテロはすっかり変えられたことに気づかされます。自分の愛に自信をもっていた以前の彼のプライドは、すっかり砕かれていました。そして実は、このような告白をイエス様も待っておられたのです。
 自分の自己中心な性質に気づかされ砕かれた者だけが、神の愛を本当に知ることができます。自分の愛の貧しさに気づかされた者だけが、神の愛によって生かされる者となるのです。

【3】 新しい使命
 イエス様はペテロに新しい使命を与えられました。それは「わたしの子羊を飼いなさい」「わたしの羊を牧しなさい」「わたしの羊を飼いなさい」という使命です。以前「人間をとる漁師にしてあげよう」と言われたイエス様が今度は、ペテロを「羊飼い」にしようとしていることがわかります。
 この時、イエス様の中では新しいご計画が意識されていました。それは教会を建て上げるという計画です。イエス様はまもなく天に帰られますが、教会を建て上げる働きを弟子たちに委ねました。ペテロは教会の働きの最初の礎として召されたのです。
 教会は「牧場の民、その御手の羊(詩篇95の7)」。教会に集められた羊たちは皆、「わたしの羊」、つまりイエス様の大切な羊たちです。その羊たちを牧すること、群れを襲ってくる狼から守り、みことばの糧によって養い育てること、これがイエス様から私たちに委ねられた大切な働きです。
 私たちは委ねられた羊たちを牧することによって、イエス様に対する愛を表すことができます。信仰も、奉仕も、伝道もすべてイエス様に対する私たちの愛の現れです。私たちを愛して下さったイエス様を愛し、この方に心から 仕えていきましょう。