燃え続ける火 レビ記6章8~13節

2020年3月29日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)
 

新型コロナ・ウィルス危機が世界中に広がる中、私たちが今、聞かなければならないのは、マスコミのことば以上に、聖書のことばです。レビ記6章には「祭壇の火を燃え続けさせなければならない」ことが、繰り返し命じられています。教会には燃え続けさせなければならない火が与えられています。その火を決して消してはなりません。その火をどのような状況の中にあっても燃え続けさせること、それが教会に与えられたつとめです。

【1】 人間の罪深さを示す火
 この火は第一に人間の罪深さを示す火です。祭壇の火とは、いけにえの動物を焼き尽くす火であり、いけにえの動物とは人間の罪の象徴でした。家畜を連れてきて自らで屠る度に、礼拝者たちは自らの罪の深刻さを身に染みて教えられました。火がいけにえを焼き尽くす光景に、人は本来の自分の姿を目の当たりにしたことでしょう。その火は人間の罪を決して曖昧にしない、徹底的に問題とする神の聖さの表れでした。その火は同時に、最後の時の神の審判の恐ろしさをも表しています。
 教会で、この火が燃え続けているでしょうか。人に罪の深刻さと、その結果の悲惨さを示す神の聖なるご性質を表す火がいつも、燃え続けているでしょうか。

【2】 神の恵み深さを示す火
 祭壇の上の火は同時に神の恵み深さを示す火でした。自分では決して解決できない罪の問題を解決できる方法を神が用意して下さったことを、その火は明らかにしていたからです。いけにえの動物に何の罪もありません。しかし、その動物が礼拝者の身代わりとなって屠られたことによって、神の怒りがなだめられました。そのような方法を神ご自身が用意して下さった恵みを、その火は表していたのです。
 ところが人間は何度も罪を犯します。その度にいけにえの動物が必要です。しかも、その動物は私たちの罪を完全に取り去ることはできませんでした。そこで神様はさらに大きな恵みを私たちに用意して下さいました。ひとり子イエス・キリストを私たちのために下さり、キリストが傷のない身代わりの子羊となって御前にささげられたのです。そのことによって神の怒りがなだめられ、私たちに救いの道が開かれました。このイエス・キリストを救い主として受け入れる者は皆、救われます。
 危機的状況が世界中に広がる中にあって、神のさばきが迫っていること、しかし救いの道が開かれていることの両方を、世界中に示さなければなりません。祭壇の火は燃え続けさせなければなりません。決して消してはいけないのです。