一つの御霊、多くの賜物        コリント人への手紙第一12章4~11節

2025年5月11日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 教会について考える時に大事な問いは、誰が教会を建て上げているのか、ということです。私たち信仰者が教会を建て上げているのではありません。聖霊なる神様が教会を建て上げています。そのことをパウロも最初に確認しました。それでは聖霊なる神様は教会を具体的に、どのようにして建て上げるのでしょうか。

【1】 いろいろ
 「さて、賜物はいろいろありますが、与える方は同じ御霊です(4)。」 聖霊なる神様は一人ひとりに賜物を与えてくださることによって、教会を建て上げることがわかります。
 ここで言う「賜物」とは、私たちに生まれながらにして与えられている才能のことではありません。選ばれた人に御霊が与える特別な才能のことを表しています。つまりそれは、人が信仰者になった後に、恵みとして与えられるものです。
 この御霊の賜物についてパウロは7節で「御霊の現れ」ということばで表しています。それは御霊に満たされた人によって発揮される賜物です。この御霊の現れの具体的な例が8~10節にて紹介されています。知恵のことば、知識のことば、信仰、癒しの賜物、奇跡を行う力、預言、霊を見分ける力、種々の異言、異言を説き明かす力…いろいろな賜物がありますが、それらはすべて同じ御霊によって与えられることが強調されています。
 しかもそれらの賜物は「一人ひとりそれぞれに」与えられています。すべての信仰者に与えられている、という意味です。御霊の賜物が与えられていない信仰者は一人もいません。主は私たちにどのような御霊の賜物を与えてくださっているでしょうか。

【2】 同じ
 パウロは4~6節で、「賜物はいろいろ」「奉仕はいろいろ」「働きはいろいろ」と語り、賜物も奉仕も働きも多種多様であることを教えています。しかし、パウロがそれ以上に強調しているのは「同じ」ということばです。同じ御霊が賜物を与え、同じ主に私たちは仕え、同じ神がすべての人の中で、すべての働きをしておられます。
 御霊が私たちに賜物を与えるのは何のためでしょうか。それは様々な奉仕によって同じ主に仕えるためです。すべての奉仕は主に仕えるためです。それはあくまでも奉仕であって「おつとめ」ではありません。私たちの奉仕が奉仕ではなく、おつとめになってしまわないように注意が必要です。
 さらに私たちは自分の力で主に仕えるのでしょうか。そうではありません。神様がすべての人の中で、すべての働きをしておられます。たとえそれが私たちにゆだねられた奉仕であっても、神が私たちの中に働いて私たちの内で働きを成し遂げられるのです。
 少しの奉仕が負担になってしまう人がいる一方で、多くの奉仕の中で喜んでいる人もいます。その違いはどこにあるのでしょうか。もしかすると神が私たちの中で働かれていないことがあります。自分の力だけで踏ん張って、がんばってしまっていることもあるのではないでしょうか。
 同じ御霊が私たちに賜物を与え、同じ主に私たちは仕え、同じ神が私たちの中で働かれます。強調点は「いろいろ」の側にではなく、「同じ」の側にあります。神を中心として賜物が発揮される時、そこに神のみわざがなされるのです。

【3】 皆の益となるため
 それぞれの賜物、奉仕、働きが、三位一体の神を中心にして一つに統一されていることに私たちは気づかされます。そしてそれは「皆の益となるため」です(7)。それぞれに皆違う賜物と役割が与えられているのは、全体として神の一つの目的を成し遂げるためです。そしてそれは教会を建て上げるためです。
 そこでは互いの違いが、分裂や対立の原因になることはありません。賜物や奉仕の違いによって敵対心や嫉妬心が煽られることもありません。逆に教会の中心におられる神が忘れられ、教会の営みが人間中心になっていく時に、私たちの違いはすぐに対立や分裂、競合の原因になってしまいます。それが当時のコリントの教会が抱えている大問題だったのです。

【4】 むすび
 今の世の中は全体の利益のために一人ひとりが消耗されるか、その反対に、全体の益を考えることなくひたすら自己中心な個人主義を貫くか、そのどちらかに傾きやすいのではないでしょうか。極端な全体主義か、極端な個人主義のどちらかに私たちは倒れやすいのです。そして結果的に誰の益にもなりません。
 そのような世の中にあって神は教会を建てられました。皆の益となるために、一人ひとりに御霊の賜物を与えられました。神の目的を成し遂げるために、私たちが一つとなって主にお仕えできるように、主は一人ひとりに親しく関わってくださいます。
 教会の民とされたことに私たちは感謝したいと思います。そして与えられた御霊の賜物を生かしながら、ともに主に仕えていきましょう。皆の益となるために共に主の教会を建て上げていきましょう。