神の主権による支配               ダニエル書7章15~28節

2025年2月16日 飯能キリスト聖園教会 主日礼拝説教要約(若井和生師)

【1】 与えられた召しと使命
 私たちはダニエル書の前半部分を通して、ダニエルの生涯と信仰に注目してきました。ダニエルの生涯はとても過酷なものでした。ダニエルは自らの人生を悲観したことはなかったでしょうか。「かつてイスラエルが安定していた時のような、もっとよい時代に生まれたかった」などと願わなかったでしょうか。よりによってイスラエルが滅亡するという混乱と苦難の時代を生きるよう、彼は定められた人でした。
 さらにバビロンに連行されて、異教世界のただ中で生きることを強いられて、自らの人生の意味について考えることはなかったでしょうか。厳しい状況の中、イスラエルの神に必死にすがりながら今まで生きてきました。それでも、なぜこのような試練の日々が続くのか、何のための人生なのかと、彼は自らに自問したことはなかったでしょうか。私たちであればきっと、そのように考えてしまうのではないでしょうか。
 しかしダニエル書の後半に入って見えてくることがあります。神は晩年を迎えたダニエルに、夢と幻を見せてくれました。それらの夢と幻をダニエルは書き留めました。その展開を見る時に、ダニエルはまさにこの時のために、そしてこの使命のために、今まで生かされてきたことに私たちは気づかされます。人間が築き上げる国々がいかにもろくはかないかを、ダニエルほどよく知っている人は他にいません。そのようなダニエルにこの世の国々のはかなさと、永遠に続く御国の確かさを神は夢と幻を通して示されたのです。
 神はそのようにダニエルの生涯を導いてこられました。神は私たちにもいろんな経験を与え、私たちを養い育て、それぞれに大切なつとめを委ねられる方です。与えられたところで主のわざに励む者でありたいと思います。

【2】 第四の獣
 7章の前半部分で、ダニエルが見た夢と幻とは、海から上がってくる四つの獣、年を経た方のさばき、人の子のような方の到来についてでした。その幻を見てダニエルは悩み、怯えました。ダニエルにも強烈な衝撃を与える幻だったことがわかります。
 しかもダニエルはその夢と幻を説き明かすことができませんでしたので、「傍らに立っていた者たちの一人」に頼み、その意味を教えてもらいました。四頭の大きな獣とは、地から起こる四人の王を表し、いと高き方の聖徒たちがやがて国を受け継ぎ、その国を永遠に世々限りなく保つという、これから起こることの全体像を教えてもらいました。
 ダニエルの関心は第四の獣に向かっていきました。この獣は非常に恐ろしく、牙は鉄、爪は青銅で、食らってはかみ砕いて、残りを足で踏みつけていました。それまでの三つの獣よりもさらに狂暴で、その残忍さが際立っていたことがわかります。十本の角があり、もう一本の角が出て来た時に、三本の角は抜け落ちました。その角には目と大言壮語する口がありました。これは、この国から立つ十人の王から三人の王を打ち倒して、一人の最強の王が現れることを表しています。
 さらにこの角の特徴は聖徒たちに戦いを挑み(21)、いと高き方の聖徒たちを悩ます(25)という点です。聖徒たちは、この支配者の手に一時と二時と半時の間、委ねられることになります。これは三年半の期間を表します。
 「三年半」という数字はヨハネの黙示録を理解するために、とても大事な数字です。「42カ月」「1260日」「一時と二時と半時の間」などと、いろんなことばで表現されますが、これらはすべて三年半を表しています。この期間は、黙示録の文脈で見ると、教会が地上にあって苦難を経験する時であることがわかります。しかし、それはいつまでも続くのではない一時的な期間でもあります。
 私たちにも必ず試練の時があります。それは苦しみの時ですが、神の守りを経験できる時、私たちの信仰が養われる時、そして神の御名が証しされる時です。そして、それはいつまでも続くわけではないのです。

【3】 神の主権による支配
 それは「いと高き方の聖徒たちのためにさばきが行われる(22)」時までのこと。必ずさばきが始まり、獣の主権は奪われて完全に滅ぼされます。そして国と主権と天下の国々の権威は、いと高き方の聖徒である民に与えられます。その御国は永遠の国、すべての主権は彼らに仕え、服従します(26~27)。そのようなやがて来る完全なさばきの実現と、栄光の日々の到来が約束されたのです。
 ダニエルはこのような夢と幻を神より見せていただき、その内容をしっかりと書き留めました。この記述を通して私たちも今の時代を見る視点と、これから起こることがらの全体像を教えられます。
 イエス・キリストの到来によって御国の建設が始まり、私たちは神に召し出されて御国の民とされました。御国の民である私たちに、そして地上で生きる教会には、この世にあって必ず試練の時があります。この世の王に憎まれ、この世の王から戦いを挑まれ、私たちは悩まされます。しかし主はそこにも必ずともにおられ、私たちを守られます。
 そしてその期間は永遠ではありません。必ずさばきの時が来ます。その時に獣たちは完全に滅ぼされ、御国が完成します。やがて来る栄光の日を待ち望みながら、日々主とともに歩んでまいりましょう。