律法を定め、さばきを行う方       ヤコブの手紙4章11~12節

2024年4月7日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

【1】 ヤコブの励まし
 前回私たちは、真実な悔い改めに導かれるために自分の罪を悲しむことの大切さについて学びました。そのメッセージを受けてヤコブは11節で語ります。「兄弟たち。互いに悪口を言い合ってはいけません。」 
 このことばより三つのことに気づかされます。第一に、ヤコブの手紙の読者である信仰者たちは互いに悪口を言い合っていたということ。次に、ヤコブは口を制御することの大切さについてここで再び教えていること。最後にヤコブはこのことばを彼らに対する励ましとして語っている、ということです。
 8節でヤコブは信仰者たちを「罪人たち」「二心の者たち」と呼んで、彼らの罪を叱責していました。そのヤコブが11節では彼らのことを「兄弟たち」と呼びかけています。彼らの罪を示しながら悔い改めに導き、その上で彼らに対する励ましとして、このメッセージを語っています。

【2】 悪口はなぜ生まれてくるのか
 悪口はなぜ生まれて来るのでしょうか。聖書を読んでいると悪口は多くの場合、ねたみとセットになって語られていることがわかります(Ⅱコリント12の20、Ⅰペテロ2の1等)。ヤコブも3章14節にて私たちの心の内にある「苦々しいねたみ」について言及していました。
 律法学者やパリサイ人がイエス様に対する悪口を言ったのも、彼らがイエス様をねたんでいたからです。私たちも誰かをさばいたり、悪口を言ったりする時があります。自分の正しさを主張しているつもりで、実は、心の中にねたみ心が潜んでいるのではないでしょうか。

【3】 兄弟をさばくことは、律法をさばくこと
 そんな彼らが覚えておかなければならないことがありました。それは互いに悪口を言い合ったりさばいたりしている彼らの姿は、神にどう見えているのかということ。結局は神の前での私たちのあり方が問われるのです。
 ヤコブは語りました。「自分の兄弟について悪口を言ったり、さばいたりする者は、律法について悪口を言い、律法をさばいているのです(11)。」 兄弟をさばくことは、つまり、律法をさばいているのと同じことなのです。
 ヤコブに特に意識されていたのは2章でも言及していた「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」との律法です。この律法をヤコブは「最高の律法」と呼びました(2の8)。自分の兄弟について悪口を言ったり、さばいたりする時、私たちはこの律法に違反していますし、さらにその行為によって「最高の律法」をさばいてしまっているのです。

【4】 律法を定め、さばきを行う方
 事態はさらに深刻です。ヤコブは続いて「律法を定め、さばきを行う方はただひとりで、救うことも滅ぼすこともできる方です」と語りました。「律法を定め、さばきを行う方」とは、もちろん神ご自身です。唯一真の神が律法を定め、その律法に基づきさばきを行われます。そして、この方はご自身の権威をもって人を救うことも滅ぼすこともできます。
 イエス様も言われました。「からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい(マタイ10の28)。」 私たちが兄弟をさばく時、それは神の律法をさばくのと同じです。そして、それはつまり律法を定められた神をさばいているのです。私たちは何と恐ろしいことをしているのでしょう。
 ヤコブも語っています。「隣人をさばくあなたは、いったい何者ですか(12)。」 私たちは人をさばく時、私たちはいったい何者なのでしょうか。無意識のうちに神をさばいているとは、何と不遜な私たちではないでしょうか。私たちは知らず知らずのうちに自分が神になってしまっているのです。自らの立場もわきまえず、高ぶってしまっているのです。

【5】 むすび
 私たちは自らのことをよくわきまえているでしょうか。無意識のうちに高ぶって、神のように振舞っていることはないでしょうか。隣人について悪口を言ったり、さばいたりしていることはないでしょうか。それは神の律法をさばく行為であり、律法を定められた神をさばく行為であることを私たちは自覚しなければなりません。
 神は私たちを救うことも滅ぼすこともできる方です。私たちのたましいもからだも、燃えるゲヘナで滅ぼすことができます。そして、神は高ぶる者には敵対されます。私たちに必要なのは、そんな神に対する恐れなのです。
 私たちは人に悪口を言いやすく、すぐにさばいてしまいます。自分の心の内にあるねたみ心を、私たちは自分ではどうすることもできません。しかし、前回のメッセージをもう一度思い出しましょう。「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます(8)。」
 自らの罪を悲しみながらも大胆に神の恵みの御座に近づきましょう。その時に主は恵みをもって私たちに近づいてくださいます。私たちの悲しみを喜びに変えてくださるのです。