主は我らの中に立たれる         ルカの福音書24章36~43節

2024年3月31日 飯能キリスト聖園教会 イースター礼拝説教要約(若井和生師)

【1】 4年前のイースター
 今日の箇所は復活されたイエス様が弟子たちの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と語られた場面です。
 2020年4月12日、四年前のイースター礼拝でも今日と同じ箇所から、同じ題で説教を語りました。それはコロナ・ウィルスの脅威が迫ってきたように感じられていた時のこと。あの日の礼拝を最後に、教会は約二ヶ月間の礼拝休止の時を経験しました。その間私たちは、それぞれの家庭の中で礼拝を守ったのです。
 しかしその後私は、礼拝を休止して本当によかったのかと、神から厳しく問われました。このような非常事態にあるからこそ、教会はどのようなかたちであるにせよ礼拝を続けるべきだったと示されました。
さらに反省を迫られたのは「平安があなたがたにあるように」と主が語られる説教を語っていたのに、私自身の心は不安でいっぱいだったからです。
 今日の説教は四年前の説教の語り直しです。主が語られる平安のメッセージを自分事として聞き続けたいと思います。
 
【2】 平安があなたがたにあるように
 このイエス様のことばは、新しい歴史の起点になっていることばであることに気づかされます。主を中心とする共同体の形成が、この時始まりました。弟子たちはこの後、証人となってエルサレムから全世界へと遣わされていきます。ルカの福音書の最後であるこの場面から、使徒の働きにつながっていくことがわかります。
 つまり教会の歴史は、そして教会を通して福音を全世界に宣べ伝える働きは、「平安があなたがたにあるように」と主が弟子たちに語られたこのことばから始まりました。そして、福音宣教の働きとは、この平安を伝える働きです。
 平安とは単に争いや混乱や不安がないことだけではなく、それは神との関係によって満たされること。神との生きた交わりに満たされる喜びを伴った平安です。主とお会いし、主の平安を与えられた主の弟子たちを通して、この平安が世界中に宣べ伝えられていったのです。

【3】 不安を平安に変えてくださる主
 弟子たちは最初から平安で満たされていたわけではありません。イエス様が弟子たちの前に現れた時、彼らはおびえて震え上がり、幽霊を見ているのだと思いました。死んだはずのイエス様が、突然彼らの前に現れたわけですから当然です。そして取り乱し、心には疑いを抱きました。そこにいる方がイエス様であるとは、とても信じられなかったのです。
 そんな彼らにイエス様はご自分の手と足を見せられました。十字架に釘で打たれた傷跡の残る手足です。それは、そこにいる人物がまさにイエス様であることを示すしるしだったのです。
 それで彼らは信じることができたでしょうか。心は喜んでいるのに、まだ信じられず不思議がっていたことがわかります。そこでイエス様は次に焼いた魚を一切れ求め、それを召し上がられました。そこで弟子たちが目にしたのは、あの懐かしいイエス様の姿です。弟子たちはいつもイエス様と食事をともにしてきました。魚を食べられるイエス様の姿を見て、弟子たちはイエス様が本当に復活されたことを確信することができたのです。
 イエス様が弟子たちの中にある不安も恐れも疑いも、ご自身のことばと、ご自身の姿を通して、すべて平安に変えてくださいました。そこまで彼らに具体的に丁寧に関わり続けておられることがわかります。
 その後イエス様は聖書を悟らせるために、彼らの心を開かれました。その時、弟子たちはイエス様の十字架と復活の意味をすべて悟ることができました。そして、罪の赦しを得させる悔い改めを宣べ伝えるために、彼らが選ばれた事実もその時、知らされたのです。そしてイエス様は天に帰って行かれました。

【4】 不安の世の中に平安をもたらすために
 弟子たちはイエス様から平安をいただいて、不安に満ちるこの世に遣わされていきました。同様に私たちも主イエス様から平安を与えられて、この世に遣わされていきます。イエス・キリストによる真の平安をもたらすために、私たちもこの世に遣わされていくのです。
 自然災害、疫病、戦争、経済危機、病と死…この世と一緒に不安になってしまうことの多い私たちではないでしょうか。しかし、主はその不安を必ず平安に変えてくださいます。教会の中心にはいつも復活の主が立っておられ、「平安があなたがたにありますように」と語り、実際にその平安を与えてくださるからです。
 不安にいっぱいになっている今の世の中にあって、教会の存在意義はますます高まっています。この世の人々が求めている真の平安が、教会の中にはあるのではないでしょうか。教会からこの世に遣わされて行く時に、その平安を私たちは携えて出ていくことができるのではないでしょうか。
 私たちの真ん中に立っておられる主と私たちはしっかりと出会い、語られるみことばをしっかりと聞かせていただき、不安を平安に変えていただいた上で、この世に遣わされていきたいと思います。全世界に天の平安をもたらそうとされる主のご計画の一部に、私たちも加えていただこうではありませんか。