モーセからヨシュアへ~信仰の継承        申命記3章21~22節

2024年2月11日  飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 昨年の感謝の一つは教会創立60周年の節目の年に、祈り会で申命記を一年かけて学ぶことができたことです。申命記という書物もまたイスラエルの歴史の大切な節目の時に、記された書物でした。それは40年の荒野の旅が終わり、カナンの地での農耕生活が始まる時、そして世代が変わる時でもありました。
 さらにイスラエルのリーダーもモーセからヨシュアへと引き継がれていきます。その引き継ぎはつとめの引き継ぎだけではなく、信仰の引き継ぎの時でもありました。私たちに与えられた信仰は、どのようにして次の世代に引き継がれていくのでしょうか。

【1】 自分の目で見る
 「あなはた…自分の目で見た」。イスラエルは今、アモリ人の二人の王シホンとオグとの戦いに勝利を収めたところです。この戦いで主がなされたすべてのことをヨシュアが見た事実を確認するところから、信仰の引き継ぎが始まったことがわかります。
 ヨシュアはずっと前からモーセに仕え、モーセの従者として神のみわざをたくさん目撃してきました。そのヨシュアにとっても、シホンとオグに対するイスラエルの勝利は、とりわけ大事な出来事だったことがわかります。ヨシュアが次のリーダーとなるために必要な備えの時だったからです。
 その時になされた主のみわざを、ヨシュアは「自分の目で」見ました。何となく見たのではなく、傍観したのでもなく、自分のこととしてしっかり見ました。ヨシュア自身の体験となり、彼自身の確信となった、ということです。
 信仰が引き継がれるためには、次の世代の子どもたちが自分の目で見る必要があります。自分の人生の中でなされる神のみわざ、教会の中で生きて働かれる神の素晴らしさを、子どもたちが自分の目で見、自分の確信となるように私たちは祈らなければなりません。

【2】 信じる
 続けてモーセは「主は…同じようにされる」とヨシュアに向かって語りました。シホンとオグに対してなされた主のみわざを自分の目で見た事実を確認させた上で、その同じことが、これから渡って行くカナンの地でも繰り返されること、今後出会うすべての国々に対してなされることを語り聞かせました。
 モーセはこの後、約束の地に入ることはできません。まもなくモーセはカナンの地に入ることもなく死ぬことになります。よって、これから先のことは自分で見ることもできないし、知ることもできません。
 しかし、見ることができなくてもモーセは信じることができました。今までイスラエルとともに歩まれた神が、これからもイスラエルの主であり、変わらずともに歩んでくださることをモーセは知っていたからです。同じ主がともなってくださるので、同じ勝利が繰り返されることをモーセは信じることができました。このモーセのことばにヨシュアは、とても励まされたことでしょう。モーセの励ましを得て、ヨシュアもまたその事実を信じることができたのです。
 私たちは次世代の子どもたちに、このように力強く語りかけることができるでしょうか。主がともに歩まれたその素晴らしさを知れば知る程、私たちは確信をもって「主が同じようにされる」と語り伝えることができるのです。
 
【3】 信頼する
 その上でモーセはヨシュアに「彼らにを恐れてはならない」と命じました。主がこれからも同じようにされる事実を信じた後、ヨシュアが求められたのは神に信頼すること、そしてその信頼を阻んでいるものを取り除くことでした。恐れが神に対する信頼を阻んでいたのです。その恐れを取り除く必要がありました。
 続けてモーセは恐れてはならない根拠も示しました。それはイスラエルの神、主が彼らのために戦ってくださるということです。戦うのはあくまでもヨシュアであり、イスラエルの民でした。しかし、主が彼らのために戦われます。その主に信頼することがヨシュアには求められたのでした。
 ヨシュアはモーセが死んだ後も「強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない」と命じられました(ヨシュア1の9)。繰り返し語られる必要がありました。すぐに恐れはなくならなかった、ということです。
 そして実はモーセも最後まで「恐れてはならない」と語られ続けました(申命記3の2)。何度でも繰り返し語られなければならない、励ましのことばだったのです。

【4】 むすび
 自分の力を信じて生きて行くことが奨励されている今の世の中だと思います。その自分の力を養うための教育だったり、訓練だったりします。そのような世界の中で若い人々も、私たちの子どもたちもこれから生きていかなければなりません。
 しかし強がりの中に恐れを、勇気の裏側に自信のなさを隠しもってしまう私たちではないでしょうか。私たちの支えは、主が私たちとともにおられ、私たちのために戦ってくださること。その方に信頼することが私たちの力です。私たち自身がそのような生き方を実践し、次の世代に主を指し示していきたいと思います。