第四の者                ダニエル書3章19~30節

2024年11月3日 飯能キリスト聖園教会 主日礼拝説教要約(若井和生師)

【1】 信仰はどこから
 前回はダニエルの三人の仲間たち、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの信仰に注目しました。ネブカドネツァル王が巨大な金の像を造り、すべての人々にその像に対する礼拝を強要した時、三人はその命令に従いませんでした。「神は私たちを火の燃える炉から救い出すことができる」と三人は神について告白し、「たといそうでなくても、王の神々には仕えない」と、真の神に対する信仰を告白しました。
 私たちは思います。神に対するこのような信仰を彼らはどのように養ったのか、と。自らを異教の習慣から守るために王の提供する食事を拒否した時も、神は彼らを守ってくださいました(1章)。王の夢を解き明かす者が誰もいなくて王が激怒した時も、神はダニエルに夢の中身を示してくださいました(2章)。彼らは今までの歩みの中で生きる真の神を個人的に知っており、その神に信頼することの素晴らしさも、体験で学んでいたのです。そのような導きの中、この世の王に忠実に仕えながらも、真の神を第一にする信仰を養ったのです。

【2】 第四の者
 このような三人の態度の直面し、ネブカドネツァル王はどう反応したのでしょうか。王は怒りに満ち、彼らに対する顔つきが変わってしまいました(19)。王にとっては想定外のことが起こったことがわかります。王は自分の力の下にすべてを支配できていると思い込んでいました。王に背く人は誰もいなかったのです。ところが王にあからさまに背く三人が現れて彼は激怒しました。彼のプライドが傷つけられてしまったのです。
 王は炉を普通より七倍熱くするように命じ、そして三人をその中に投げ込むように命じました。その熱さは三人を炉の中に投げ込もうとした者たちを焼き殺してしまう程、激しいものでした。ところが三人が火の燃える炉の中に落ちて行った後、驚くべきことが起こりました。火の中を、縄を解かれて歩いている四人の者が見えたのです。しかも彼らは何の害も受けておらず、第四の者の姿は王にとっては神々の子のように見えた、ことがわかります。
 この「第四の者」とは誰なのでしょうか。地上に人として来られる前のキリストだったと考える人、あるいは神が送ってくださった天使だったと考える人もいます。いずれにせよ神は火の燃える炉の中に神から使者を遣わし、三人を守ってくださいました。三人は王に呼ばれて何事もなかったかのような姿で炉の中から出てきました。神は三人を守り、試練の中から救い出してくださったのです。
 神は火の外から手を伸ばし彼らを救い出されたのではありません。火の中に「第四の者」を送ってくださって、その存在によって彼らを守ってくれました。
 その姿はやがて神がこの世に遣わしてくださったイエス・キリストの姿を象徴的に表わしています。神は人となって私たちのところに来られました。悩み苦しみもがいている私たちのところにいらっしゃって、その試練の中にあって私たちがそこから害を受けないように守ってくださいます。そして最終的にその中から私たちを救い出してくださるのです。

【3】 神を賛美する者へ
 このような驚くべきことが起きて王は最終的にどう反応したでしょうか。ネブカドネツァルは最後に神を賛美しました。「ほむべきかな、シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの神。神は御使いを送って、このしもべたちを救い出された」と言って、三人を救い出された神を賛美しました(28)。
 さらに三人についてこのように語りました。「王の命令に背いて、自分たちのからだを差し出しても神に信頼し、自分たちの神のほかはどんな神にも仕えず、また拝まないこの者たちを。」 三人が王の命令に背いたからこそ、ネブカドネツァル王は激しく怒りました。でも彼らが王に背いた事実は、この時の王にとってさほど大きな問題ではありませんでした。
 さらに「自分たちのからだを差し出しても神に信頼し、自分たちの神のほかはどんな神にも仕えず、また拝まない」三人の姿は、とても頑なで偏屈で融通の利かない姿として王には感じられていたはずです。真の神に対する信仰を貫く三人の姿勢は帝国の平和を乱す、まるでトラブルメーカーのような存在として見えていたのではないでしょうか。
 ところがそのような彼らの真っすぐな信仰が、彼らに対する尊敬と高い評価に変えられたことがわかります。彼らの信仰を通して真の神が証しされ、王はその神の素晴らしさを知ることができたからです。

【4】 むすび
 信仰者としてこの国で生きて行く時に私たちも時々、排他的で融通が利かない頑固な人たちと見なされてしまうことがあります。唯一真の神である神を信仰しているから、この世に戦争が絶えないのだ、と考える人々までいます。真理である神を信じている自分が真理になってしまったら、確かに戦いは終わりません。
 しかし真の神を個人的に知っていて、この方に信頼している人を通して神ははっきりと証しされます。その神と人が出会った時、その人々も必ず神をほめたたえる者に変えられます。主に信頼し、神を証しする者としていただきましょう。