わたしはこの宮を栄光で満たす        ハガイ書2章1~9節

2023年6月4日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

【1】 新会堂建設
 飯能キリスト聖園教会は今年創立60周年、新会堂献堂30周年です。新会堂建設の取り組みは1980年から始まりました。その後、新会堂が完成したのは1993年ですから、13年にも渡る大事業だったことがわかります。
 最初は牧師館の建設から始まりました。牧師館が完成したのは1982年のこと。当時すでに癌と闘病中だった小林鏡子先生にとって、牧師館は最高のプレゼントになりました。
 牧師館建設のための借入金の返済を終えて、新会堂建設の働きがいよいよ始まっていきます。1988年4月24日に開催された信徒総会にて、教会として新会堂建設に取り組んで行くことが全会一致で承認されました。その時に小林鏡子先生によって語られたのが、ハガイ書2章4~9節のみことばでした。鏡子先生はこのみことばより「教会は明日を見て、そして動いて行かなければならない。新しい会堂の建設にとりかかろう」と語り、皆を励ましました。新会堂建設の事業は、このみことばから始まったのです。

【2】 強くあれ
 バビロン捕囚からエルサレムに戻って来たイスラエルの民によって、神殿の再建が始まりました。それから約一ヶ月が経った時のことです。神殿再建の働きがやっと始まったと言うのに、この時、イスラエルの民は気落ちしていました。
 それは2章4節で、神から「強くあれ」と三度も繰り返し語られていることからわかります。強くされなければならなかったのは、総督ゼルバベルも、大祭司ヨシュアも、この国のすべての民も皆、同じでした。指導者から民に至るまで全体が気落ちしている状態だったのです。
 その理由は、彼らが造り始めた神殿が、かつての栄光に輝くソロモン時代の神殿に比べて、あまりにもみすぼらしかったからです。イスラエル王国の繁栄を極めたソロモンの神殿は全体が金で覆われた黄金の神殿でした。それに比べると今、彼らが建設に取り組んでいる神殿は「まるで無いに等しい(3)」と彼らに感じられるほどだったのです。
 どんなに努力しても立派な神殿を建設することはできません。自らの弱さ、小ささ、力のなさ、限界を実感して、彼らはもうやる気を失いかけてしまったのです。ところがそんなに彼らに神は繰り返し「強くあれ」と言って励まし、その上で「仕事にとりかかれ」と命じられました。
 私たちも自分の弱さ、力のなさを思い知らされて意気消沈してしまうことがあります。弱気になってしまうことがあります。しかし主はそんな私たちにも「強くあれ」と言って、励ましてくださるのです。

【3】 強くあるための根拠
 どんなに「強くあれ」と言われ励まされても、強くなるための根拠がなければ私たちは苦しくなるだけです。しかし、主は私たちに強くあるための根拠を与えてくださる方です。
 第一に神はイスラエルに言われました。「わたしがあなたがたとともにいるからだ(4)。」 モーセにも、ヨシュアにも、弟子たちにも…、出発の時に神は必ず「わたしがあなたとともにいる」と語りかけ、励ましてくださいました。私たちが弱い時、神は私たちとともにおられます。そして、神の力は私たちの弱さのうちに完全に現わされるのです(第二コリント12の9)。
 二番目に神はイスラエルに言われました。「わたしの霊はあなたがたの間にとどまっている(5)。」 「とどまっている」と訳されている部分は分詞形で、神の霊が継続的にとどまり続けている状態を表しています。なぜそうなっているのでしょうか。イスラエルがエジプトから出て来たときに、神がイスラエルと結んで下さった契約のゆえでした。つまり神がイスラエルをご自分の民として契約を結んでくださった時から、イスラエルには聖霊が与えられ、しかもその聖霊がとどまり続けていたのです。
 イエス・キリストを信じる私たちに神は聖霊を与えてくださいました。しかも、その聖霊は私たちにとどまり続けています。私たちの中に住んで私たちを内側から支え、「恐れるな」と語りかけてくださるのです。

【4】 わたしはこの宮を栄光で満たす
 最後に神は言われました。「わたしはこの宮を栄光で満たす(7)。」 まもなく天と地、海と陸、すべての国々が揺り動かされる時がやって来ます。それは御国がこの地にやって来る時であり、さらに御国が完成する時です。イエス・キリストの到来の時であり、さらに主の再臨の時でもあります。
 その時に、この宮は主の栄光で満たされます。すべての国々の宝物がこの宮にもたらされます。その栄光は、あのソロモンの神殿にもまさる栄光です。そのような栄光の時が来ることを約束することによって、宮の再建に励むイスラエルの民を神は励ましてくださったのです。
 教会は神の宮です。神が住まわれる場所です。教会で一番大事なのは教会堂ではありません。教会堂が主の栄光で満たされていることです。主のご臨在がそこにあることです。私たちも明日を見て、動き始めましょう。主の宮が栄光で満ちることを目指して、宮の再建に励んでいきたいと思います。