主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな      詩篇103篇1~5節

2023年5月7日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 飯能キリスト聖園教会の60年の歴史を振り返る時、いくつかのみことばによって教会が導かれてきたことを教えられます。次週より、それらのみことばを確認しながら、当時のことを振り返り、そのみことばが今日の私たちに何を語っているのか、改めて耳を傾けていくシリーズを始めたいと思っています。
 その導入として今日は詩篇103篇2節のことばを中心に、みことばを味わっていきましょう。これは教会創立50周年の時に与えられたみことばでした。

【1】 忘れないことの大切さ
 詩篇103篇は賛美で始まり(1~2)、賛美で終わります(20~22)。そしてその間に記されていることは、賛美する理由についてです。詩篇の著者本人の極めて個人的な賛美から始まり、最終的には天地万物のすべてのものに対する賛美の呼びかけへと、賛美が大きくなっていくことがわかります。
 その最初の導入として命じられていることが「主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな」という命令です。これは神が良くしてくださったことを意図的に軽視したり無視したりすることなく、覚え続けるようにとの命令です。
 イスラエルの民はいまだに「過越の祭り」や「仮庵の祭り」を毎年祝っていますが、過去に主が良くしてくださった恵みをいまだ忘れずに、また忘れない努力を行っていることがわかります。その蓄積が彼らの民族としてのたくましさを育てているのではないでしょうか。その一方で、私たちは過去にどんなに素晴らしいみわざを体験しても、時が経つとすぐに忘れてしまう傾向が強いのではないかと思わされます。
 
【2】 主が良くしてくださったことの中身
 主はこの詩篇の著者に、どのような具体的な良いことをしてくださったのでしょうか。5つのことをしてくださいました。
 第一に彼のすべての咎を赦し、二番目に彼のすべての病を癒し、三番目に彼のいのちを穴から贖われました。この世には、私たちを不幸にする三つの災いがあります。それは私たちの罪、病、死の三つです。その三つに、私たちは勝利することができません。しかし、主なる神はそれら三つのわざわいに、解決を与えてくださったことがわかります。
 まず主は私たちの咎を赦し、病を癒し、死(「穴」は墓穴のことで、死を表す)から贖い出してくださいました。これは過去に与えられた恵みであり、今も、そしてこれからも与えられる神の恵みです。
 ただし私たちはこれら三つに完全な勝利を得ているわけではありません。赦されてはいるけれど以前と変わらない自分の罪を知らされて惨めな気持ちになる時があります。一度病が癒されてても、さらなる病を抱えて不安になります。そして人生最後の死を意識する時に自らの不信仰を覚える時もあります。しかし、そんな私たちに四番目の良きことを主はしてくださいました。
 主は私たちに恵みとあわれみの冠をかぶらせてくださいます。弱き者、不十分な者、罪深い者に対する神の愛は全く変わらないのです。
 そして私たちの一生を良いもので満ち足らせてくださいます。神は、私たちの抱えている問題や不安や課題を取り除いてくださるだけでなく、私たちの人生を良いもので満たしてくださるのです。
 その結果、私たちはどうなるのでしょう。私たちの若さは鷲のように新しくなります。私たちの外なる人は衰えても、私たちの内なる人は日々、新しくされていくのです(Ⅱコリント4の16)。

【3】 出発点は神
 なぜそのようなことが起きるのでしょうか。この箇所を読んで一つ気づかされることがあります。それは主語は全部「主」であることです。主が私たち一人ひとりによくしてくださいました。主が私たちの咎を赦し、病を癒し、私たちのいのちを贖われました。主が、私たちに恵みとあわれみを注ぎ、私たちの一生を良いもので満たしてくださいました。私たちの信仰の出発点はいつも「主」なる神なのです。
 私たちが不安になるのは、私たちの出発点がいつも自分に置かれているからです。私たちは自分を知れば知る程、惨めになります。不安に心が捕らわれます。疲れ果ててしまいます。しかし大事なことは私たちが主に対して何をするかではありません。主が私たちに何をしてくださったか、なのです。それが私たちの信仰の出発点なのです。
 聖書をよく知っているのに、神のみわざを体験することが乏しいということにならないように、私たちは注意したいと思います。聖書の理解と、恵みの体験とその両方があって私たちの信仰は養われていきます。理解と体験の両方が、私たちの人生を豊かにするのです。
 私たちは夜寝る前に一日を振り返って、神に対する感謝で毎日を閉じる者でありたいと思います。与えられる恵みを日々、数えていきたいと思います。そして主が良くしてくださったこと何一つ忘れることなく、覚え続ける習慣を大切にしたいと思います。私たちの一生を良いもので満たしてくださる主に向かって、私たちも賛美する者となりましょう。