野の花のように            詩篇103章15~18節

2023年5月14日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 飯能キリスト聖園教会は今年、創立60周年を迎えました。本日より私たちは礼拝の中でも、歴史を振り返るひと時をもちたいと思います。かつて私たちはどのようなみことばを与えられ、そのみことばによって、どのように導かれてきたでしょうか。私たちの60年の歩みを導いてくださった主を、ともにあがめたいと思います。

【1】 小林はな姉の信仰
 教会の歴史が始まる前に、必ず準備の時があります。世界で最初の教会が誕生したのは使徒の働き2章に記される、ペンテコステの日でした。しかし、イエス様はその前から弟子たちを集められ、彼らを訓練し、教会を建て上げるための準備を始めておられたのです。
 聖園教会の歴史は名栗川クリスチャン・キャンプが完成した1963年を起点としています。しかし、この地に主が教会を建て上げるための準備は、もっと以前から始まっていました。飯能キリスト聖園教会の歴史は、小林鏡子師を生み育てた小林家の歴史の中で始まっていたのです。
 その起点となっていたのが鏡子師の母、小林はな姉です。戦争の混乱の中、子どもたちを連れて群馬県尾島に疎開していたはな姉は、近くにあった尾島キリスト教会に通い始め、そこでイエス・キリストによる救いに導かれました。東京大空襲のために東京の家を失い、その後夫を失い、女手一つで七人の子どもたちを育てなければならなくなりました。しかも頼れる人は一人もいなかったのです。
 そのような中、はな姉はひたすらイエス・キリストにすがりました。そして救いを与えられて、その後はひたすら祈る人になりました。特に子どもたちのために日々、祈り続けるようになったのです。
 はな姉の残された日記と手紙を小林鏡子師が編集して『野の花』という本が1969年に出版されました。そのあとがきの中ではな姉の息子で、鏡子師の弟の小林和夫先生が次のように書き留めておられます。

「私たち家族の救いは、神の恵みにより、母の絶えざるとりなしの祈りによったからです。…私たち兄弟が、母から受け継いだものは、信仰を他にしてなに一つありません。しかし、天地の主なる生ける真の神の愛の中で生きる喜び、これに比すべきものがあるでしょうか。母は、私たちにカルバリの十字架で証しされた神の愛の中に生きることを教え、私たちもそれを心から喜んでいるのです。」

【2】 野の花のように
 小林はな姉の著書『野の花』のタイトルは、詩篇103篇15~16節のみことばから取られました。

「人 その一生は草のよう。人は咲く。野の花のように。
風がそこを過ぎると それはもはやない。その場所さえも それを知らない。」

 聖書は人の一生は草のようだ、と語ります。野の花のように美しく咲く時もあります。しかし、風がそこを過ぎると跡形もなくなってしまいます。そして、その存在を誰も覚えてくれないのです。その場所さえも、それを知らないのです。
私たちの人生は何とはかないでことでしょう。これでは私たちの人生に、どんな意味があるのでしょうか。生きていてもむなしいだけではないでしょうか。
 しかし、このことばは17~18節のみことばにつながっていきます。

「しかし 主の恵みは とこしえからとこしえまで 主を恐れる者の上にあり
 主の義は その子らの子たちに及ぶ。
 主の契約を守る者 主の戒めに心を留めて行う者に。」

 主の恵みはとこしえからとこしえまであります。絶えず私たちの上に注がれ続け、しかもその恵みはいつまでも変わりません。罪深いを私たちを義と認めてくださり、その主の義は私たちだけでなく、私たちの子たちにまで及びます。祝福が私たちを通して、私たちの子どもたちにまで届けられるのです。
 私たちが生きていて本当に良かったと思えるのはどんな時でしょうか。自分の生きた証しが後世に残されて行くこと、特に神の祝福が自分を通して、子どもたち、孫たちに及んでいくことではないでしょうか。そのような祝福が主を恐れる者、契約を守る者、主の戒めに心を留めて行う者に注がれていくのです。

【3】 むすび
 「主の義は、その子らの子たちに及ぶ(17)」というみことばの「子たち」の中に、私たちも含まれているのではないでしょうか。はな姉の信仰によって、祝福が娘・鏡子師に及び、さらに「その子らの子たち」である私たちにも及びました。聖園教会に今、注がれている祝福は、はな姉の祈りと信仰の結果なのです。
 私たちの信仰の結果として、祝福が子どもたちにも、孫たちにも及んでいくとするなら、それは何と嬉しいことでしょうか。そのような実例を主はすでに私たちに見せてくださっています。聖園教会にはそのような特別な祝福が、与えられています。是非、私たちは主を恐れ、契約を守り、主の戒めに心を留めて行い、そして子どもたちの祝福のために祈り続けていく者でありたいと思います。