死人のうちよりよみがえられたキリスト     ペテロの手紙第一1章3~5節

2023年4月9日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 イースターおめでとうございます。今日はイエス様の復活をお祝いするイースターです。復活の主をほめたたえましょう。

【1】 賛美の理由:新生
 本日の箇所の中でペテロは「私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように」と声を挙げ、まず父なる神が賛美されるようにと祈り、呼びかけました。どうしてでしょうか。
 神は、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせてくださったからです(3)。つまり、私たちはイエス様の復活によって新生しました。
 しかも神は「ご自分の大きなあわれみのゆえに」そのような恵みを私たちに与えてくださったことがわかります。神のあわれみが新生の土台です。罪深く愚かで、神の前に全くふさわしくない私たちを、神はその大きなあわれみのゆえに新しく生まれさせてくださったのです。
 ヨハネの福音書3章に出て来るニコデモはユダヤ議会の議員の一人で、地位も名声も人々からの信頼も持ち合わせている人でした。しかし彼の心の中には平安がありませんでした。彼が永遠のいのちをもっていなかったからです。そこでニコデモは夜暗くなってからイエス様のところにやって来ました。
 そんなニコデモにイエス様は言われました。「まことに、まことに、あなたがたに言います。人は、新しく生まれなければ神の国を見ることはできません(ヨハネ3の3)。」
 人はもう一度、母の胎に入って生まれ変わることはできません。しかし、イエス・キリストを救い主として信じ受け入れる時、私たちはキリストとつながって生まれ変わります。キリストと一つとなってキリストの復活のいのちに生かされる者となります。丁度、ぶどうの枝がぶどうの木にしっかりとつながる時に、ぶどうの木のいのちによって生かされ実を結ぶように、私たちもキリストの復活の新しいいのちに生かされるのです。

【2】 新生の結果:生ける望み
 新生の結果、神は私たちにさらなる恵みをくださいました。「生ける望み」を私たちにくださったのです(3)。キリストのいのちに生かされる時、私たちには望みが与えられます。しかもその望みは「生ける望み」です。一時的な望みではなく、いつまでもなくならい、生き続ける永遠の望みです。それは私たちが病で苦しんでいる時も、また死に直面した時にもなくならい確かな望みです。そのような望みを神はキリストの復活によって、私たちにもたせてくださるのです。
 その「生ける望み」とは、具体的にどのような望みなのでしょうか。それは朽ちることも、汚れることも、消えて行くこともない永遠の資産を、神が天に蓄えておられるという望みです。その資産を私たちはいずれ受け継ぐことになります。その資産とは天の御国です。私たちはいつか必ず御国を相続します。その御国は決して朽ちることはないし、汚れることもないし、消えて行くこともありません。そのような永遠の資産を父なる神は私たちのために天に蓄えておられるのです。
 私たちはお金さえあれば何でも手に入る社会に生かされています。しかし唯一希望だけがありません。この国には希望がないのではないでしょうか。私たちには希望が必要です。希望があれば私たちは辛い時にも生きていくことができます。父なる神は私たちのために御国を用意しておられます。その与えられた「生ける望み」をしっかりと握って歩んでいきたいと思います。

【3】 現在の守り
 しかし私たちの中にはこのように反応する人がいるかもしれません。「希望も大事です。しかし、希望よりも今、具体的な助けが欲しい」。そのように訴える人もおられるだろうと思います。私たちには先を見渡せる程の余裕がない時があります。目の前の事柄に必死になってしまう時があります。しかし私たちの父なる神は、そのような私たちの必要もよくご存知です。
 「あなたがたは、信仰により、神の御力によって守られており、終わりの時に表されるように用意されている救いをいただくのです(5)。」私たちは信仰により、神の御力によって守られています。父なる神は将来の必要だけでなく、現在の必要も満たしてくださいます。
 しかも「終わりの時」と呼ばれるその日まで私たちは御力によって保たれ続け、確実に救いをいただくのです。主なる神は私たちの先の必要と今の必要の両方を満たしてくださるのです。

【4】 むすび
 主イエス・キリストは死人のうちよりよみがえり、今も生きておられます。私たちの歩みに伴い最後まで導いてくださいます。キリストの復活のいのちに生かされ、生きる望みをしっかりと握りしめ、主の御力によって守られながら、確信と希望をもって日々を歩んでまいりましょう。