おとめマリアより生れたキリスト      ガラテヤ人への手紙4章4~5節

2023年3月26日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 受難節の季節を迎える中、私たちは復活祭が来るまでイエス様がこの世に来てくださった意味を共に考え、そこで体験された苦しみを心に留めたいと思います。
 ガラテヤ人への手紙4章4~5節を通して私たちは、イエス・キリストの誕生について三つのことを教えられます。

【1】 定めの時の誕生
 第一にそれは定めの時の誕生でした。イエス様の誕生は、時が満ちたゆえの誕生であり、それは神の定めの時の到来だったことがわかります(4)。
 救い主をこの世に遣わすという神のご計画は、イエス様の誕生されるずっと前から神によってたてられていたものでした。何と、アダムとエバが罪をおかしてエデンの園から追放されたあの創世記3章の時点で、その計画がたてられていたのです。「彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ(創世記3の15)」。「彼」と呼ばれる人物が蛇であるサタンの頭を打つと預言されていますが、この「彼」こそは救い主を表しています。そしてその後、様々な旧約聖書の預言者たちがメシアと呼ばれる救い主の到来を預言しました。
 このようにイエス・キリストの誕生は、ずっと以前に神によって定められていました。イエス様の人生はすべて、神のご計画の中に位置づけられていたのです。

【2】 人としての誕生
 二番目にイエス様の誕生は、人としての誕生でした。「神はご自分の御子を、女から生まれた者…として遣わされました(4)。」ここに大切な二つの真理が示されています。一つは、イエス様は神の御子として父なる神の下より遣わされて来たこと、同時にイエス様は女から生まれた人間であったこと。つまりイエス様は完全な神であり、完全な人であったということがわかります。
 使徒信条で私たちは毎週のようにイエス様が「おとめマリアより生れ…」と告白します。これはとても大事な告白です。なぜならば、イエス様はマリアの胎を通して人としての肉体をもってお生まれになったことを表しているからです。
 イエス様が肉体をもってお生まれになったとは、どのようなことでしょうか。それは私たちの悩み、苦しみをすべて受け止めるために来てくださったということです。私たちの苦しみのほとんどは、私たちが肉体をもっていることから来ます。肉体があるからこそ私たちには病の苦しみがあり、死に対する恐れがあり、死別の悲しみがあります。しかし救い主なる方は私たちのために「悲しみの人、病を知っている人(イザヤ53の3)」になられたのです。
 さらに「神はご自分の御子を…律法の下にある者として」遣わされました。神は私たちを祝福するために律法を下さいました。律法の通りに歩むことができれば、私たちは必ず祝福されます。ところが私たちの問題は自分では律法を守ることが決してできない、ということです。聖書は、すべてのものを罪の下に閉じ込めました(3の22)。私たちは律法の監視下、罪の下に閉じ込められ、この世のもろもろの教えの奴隷となり、それゆえに神ののろいを受ける者となってしまったのです。
 しかしイエス様は神であられたのに人となって、「律法の下にある者」となってくださいました。神ののろいを受けなければならない私たちと全く同じところに立ってくださったのです。それは一体何のためだったのでしょうか。

【3】 私たちを贖い出すための誕生
 イエス様の誕生は三番目に私たちを贖い出すための誕生だったことがわかります(5)。「贖い出す」とは「代価を払って買い戻す」、「自分のものにする」という意味です。
 旧約聖書の時代、人が神の前に出る時には動物をいけにえとして殺す必要がありました。罪人であるそのままの状態で神の前に出ると、人は死んでしまうからです。それゆえに動物に身代わりとなってもらい、そのような代価を払うことによって人は神の前に出ることが許されました。
 イエス・キリストは十字架にかかり、私たちのために身代わりのいけにえとなって神の前に献げられました。キリスト自らがのろわれた者となることで、私たちをのろいから贖い出してくださったのです。
 しかもそれだけではありません。さらにそれは、私たちが神の子としての身分を受けるためでした(5)。つまり、奴隷であった私たちを神はご自身 の子どもとしてくださったのです。それゆえに私たちは神の子どもとしての特権を与えられ、いつでも父なる神との親しい交わりの中で生かされる者とされました。

【4】 むすび
 このような特権を得るために必要なこと、それはイエス・キリストを救い主として信じ受け入れることです。私たちを贖い出し、自らの子とするために、神はイエス様を私たちの下に遣わされました。そして私たちの身代わりとなって神ののろいを受け、私たちのために死んでくださったのです。
 この方をしっかりと信じ受け入れ、この方との親しい交わりの中で生かされていきましょう。