御国の姿:畑に隠された宝       マタイの福音書13章44~46節

2023年2月19日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

【1】 御国の尊さ
 この箇所でイエス様は「畑に隠された宝」と「良い真珠を探す商人」の二つのたとえを用いて、御国の姿について教えておられます。この二つは①宝が隠されていること、②その隠されていたものが見つけられること、③見つけた人が持っているもの全部を売り払いその宝を自分のものにすること、以上の三つの点が共通しています。両方のたとえを通してイエス様は、御国にはどれだけの犠牲を払っても惜しくないくらいの価値があることを教えておられます。

【2】 畑に隠された宝
 この二つのたとえには以上のような共通点が見られますが、その一方で違う点も見られます。最初のたとえにおいてその中心は畑に隠された宝の素晴らしさに置かれていました。御国はまさに「畑に隠された宝」のようなものだったのです。
その素晴らしさは、人がその宝を発見した時の反応に表されています。この人は畑の中に隠されている宝を発見して喜びました(44)。そして、この大きな喜びのゆえに次の行動が生まれました。彼は「喜びのあまり」、行って、持っていたものすべてを売り払い、その宝を手にしたのです。喜びが彼に、この宝を手に入れるための行動を引き起こしました。
 ただしその後の彼は不思議な行動を取っています。畑の中に隠されている畑を発見したのに、しばらくそのまま隠しておきました。そして行って、持っている物すべてを売り払い、その畑ごと購入しました。どうしてそんなことをしたのでしょうか。
 もし宝を見つけた時に大喜びして、そのまま宝を自分のものにしてしまったならば、それは彼が盗みを働いたということになります。見つかったならば処罰されて、その宝も取り上げられてしまうことでしょう。また、その畑には所有者がいました。その所有者の畑で宝が発見されたことが知られたならば、その宝は結果的に所有者のものとなってしまいます。せっかく宝を発見しても、自分のものにならなかったのです。
 よって畑ごとまるごと購入してしまうことが、その宝を確実に手に入れるための唯一の手段でした。彼は慎重でした。それだけその宝が欲しかったのです。それは、その宝を確実に手に入れたいという彼の強い思いの現れでした。
 
【3】 良い真珠を探す商人
 その一方で二番目のたとえの中心は良い真珠ではなく、良い真珠を探している商人のその真剣さに置かれていました。御国は「良い真珠を探している商人」のようなものだったのです。
 彼の特徴は、良い真珠を探し続けている点でした。畑の中に隠されていた宝はたまたま偶然に発見されたものでしたが、商人は良い真珠を探し続けていました。そして探求の果てに彼は遂にその良い真珠を発見したのです。
 おそらく彼は商品としての真珠を求めていたはずです。彼は商人なので、手に入れた真珠を売ってさらに儲けることを考えていたはずです。ところが、彼はその真珠を自分のものにしてしまいました。彼は自分が商人であることを忘れてしまっています。商売を止めてしまいました。それくらいすごいものを発見してしまったのです。
 このように、この二つのたとえの両方を通して、すべてのものを犠牲にしても惜しくないくらいの御国の価値が教えられています。

【4】 キリストを知っていることの素晴らしさ
 マタイはかつてイエス様と出会った時に、すべてを捨ててイエス様に従いました(ルカ5の28)。他の弟子たちも同じです。そしてパウロがやはりそうでした。パウロはピリピ人への手紙3章7~8節でこのように告白しているからです。

「私は、自分にとって得であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになりました。それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。私はキリストのゆえにすべてを失いましたが、それらはちりあくただと考えています。」

 それまでパウロが大事にしてきた自分の努力と行いによって正しい人間になとうろする生き方を、この時のパウロは「ちりあくた」である、と考えました。どうしてでしょうか。「キリスト・イエスを知っていることのすばらしさ」のゆえです。キリストと出会って彼はすべての罪を無条件に赦されました。彼は値なしに愛されました。そしてこのキリスト・イエスと出会って、神の子どもとしての特権と永遠のいのちを与えられ、主とともに歩む人生を得ました。パウロにとってイエス・キリストとの出会いは、それ以外のものが「ちりあくた」になってしまうくらいの大きな出会いだったのです。
 これだけの出会いを私たちは経験したでしょうか。これだけの出会いを私たちは経験し続けているでしょうか。イエス様との出会いと、それによって与えられる御国は、それくらい素晴らしいものです。御国のこの価値を決して見失わないようにしようではありませんか。