昔からの謎を語る          マタイの福音書13章34~35節

2023年2月12日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

【1】 預言の成就
 イエス様が語られる御国についてのたとえを、順番に学んでいます。イエス様は群衆に対して教えられる時、いつもたとえで話されました。たとえを使わずには何も話されませんでした(34)。マタイはこれを「預言者を通して語られたことが、成就するためであった」と記しています(35)。そして、詩篇78篇2節のみことばを引用しました。
 マタイは、イエス様の到来が旧約聖書の預言の成就であることを、多くの箇所で指摘していますが、イエス様が群衆にたとえのみで語られたことも、やはりその一つであったことがわかります。イエス様がたとえのみで語られたことには、深い理由があったようです。

【2】 昔からの謎を語る
 その理由を探るために私たちは、マタイが引用した詩篇78篇に注目したいと思います。

「私は口を開いてたとえ話を、昔からの謎を語ろう」(詩篇78の2)

 この詩篇の著者であるアサフはここで「たとえ話」ということばを使い、それを「昔からの謎」ということばに言い換えています。この「たとえ話」「昔からの謎」は、どうしても語られなければならないメッセージだったことがわかります。それが先祖たちによって伝えられた言い伝えだったからです。そして、それを息子たち、さらに後の時代までにも語り告げる必要がありました。
 どうしてでしょうか。子どもたちが子々孫々まで神に信頼するためであり、そして彼らが先祖たちのように強情で逆らう世代とならないためでした(詩篇78の6~8)。つまり「たとえ話」とは、信仰が代々継承されていくために、どうしても語らなければならなかった教えだったのです。
 主が私たちに与えてくださったみことばは、私たちだけのものではありません。それは私たちの子どもたち、孫たち、さらにそれに続く世代のためのものでもあります。私たちは与えられた福音を、子どもたちに語り告ぐつとめを果たしていきたいと思います。

【3】 鈍い心
 その語り告げられるべき教えとは、どのような内容のものなのでしょうか。それが9節以後始まる詩篇78篇の内容ということになります。
 そこに記されていることはエジプトから救い出された先祖たちが、恵み深い神に対していかに強情で逆らう者たちであったか、という歴史的事実です。「けれども、彼らはなおも神に罪を犯し、砂漠でいと高き方に逆らった(17)」「これらすべてにもかかわらず、彼らはなおも罪を犯し、神の奇しいみわざを信じなかった(32)」「けれでも、彼らはいと高き神を試み、神に逆らい、そのさとしを守らなかった(56)」。これがイスラエルの先祖たちの姿でした。この愚かさが繰り返されることがないように、「たとえ話」が「昔からの謎」として語り継がれる必要があったのです。
 マタイが13章35節で「成就するためであった」と語った内容は、このことでした。つまり、イエス様の時代の人々もやはり強情であり、神に逆らい、聞く耳を持たなかったのです。イエス様ご自身も、自らたとえで語られる理由について「彼らが見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、悟こともしないから」と語っておられました(13)。イエスは、鈍い彼らにそれでもわかってもらうためにたとえを使ったのではありません。たとえで語っても、人々はやはり悟ることがありませんでした。御国の真理は隠されていたのです。
 私たちも聞いているようで実は聞いていないことが多いのではないでしょうか。悟ったつもりで実は全くわかっていないことがあるのではないでしょうか。そして聞き悟ったつもりになっていることも多いのではないかと思わされます。

【4】 弟子たちのように
 鈍い私たちは一体どうすれば御国の真理を悟ることができるのでしょうか。希望は弟子たちの姿です。弟子たちはイエス様のところに近寄って言いました。「畑の毒麦のたとえを説明してください(36)」。弟子たちも実はわかっていませんでした。しかし弟子たちと群衆たちの違うところは、わからない自分を自覚してイエス様に尋ね求めたところです。そんな弟子たちの求めに応じるかたちで、イエス様は説き明かしをなされました。イエス様は弟子たちに親しく御国の真理をお示しになったのです。
 私たちも実はよくわからないのに、わかった気になって動き出したり、しゃべり出したりしてしまうことがあるのではないでしょうか。私たちは自分には分からないと認めることを出発点としていきたいと思います。その時に私たちは求めることができます。主に尋ね求めることができます。そして、その求めに応じて主が私たちに応え、教えてくださる恵みを私たちは体験するのです。

「わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたが知らない理解を超えた大いなることを、あなたに告げよう。」エレミヤ書33章2節