神のなさることは、すべて時にかなって美しい       伝道者の書3章1~11節

2023年12月31日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 今日は2023年の最後の日、今年も今日でおしまいです。そして、今年は私たちにとって教会創立60周年の節目の年でもありました。この節目の年の節目の時である今日、「時」について教えられている伝道者3章のみことばに注目していきたいと思います。

【1】 神のなさること
 3章11節のみことばから私たちは、三つのことを教えられます。第一に、神がこの世でなされていることがある、ということ。このみことばは「神のなさることは…」という一節から始まります。神がこの世で、この世界にて、そして私たちの人生においてなされていることがある、ということがわかります。                       聖園教会60年史を書き記してまず励まされたことは、神がこの地でみわざをなされている、ということです。この地に教会を建て上げたのは小林鏡子先生でも軍地光子先生でも、また信徒たちでもありません。神が建てられました。神がその時々で多くの人を用いられ、この地に教会を建て上げたのです。
 私たちは普通、自分の計画と働きをまず先に考えます。その上で、その自分の働きや計画を神がどのように助けてくださるのか、という視点で神を考えると思います。私たちのそのような人生を見る見方は、聖書の理解が深まっていくに連れて、少しずつ変えられます。
 まず神のご計画とお働きが先にあり、その中に私たちが招かれたり、加えられたり、参与するように導かれています。それがわかる時には、単なる自己実現や自己満足では決して得られることのない大きな喜びを、私たちは味わうことになります。
 60年間この地でみわざをなされてきた主は、これからもみわざを成し続けます。そんな神のご計画の中に私たち一人ひとりが加えられているとは、何と光栄なことではないでしょうか。そのことを私たちは感謝しつつ、さらにそのご計画とお働きに参与させていただく者となりたいと思います。

【2】 神のなさることは、すべて時にかなって美しい
 このみことばを通して励まされる二番目のこと、それは「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」、ということです。聖園教会の60年の歴史の中にも、神のなされることの時にかなった美しさが豊かに表されていました。ふさわしい助け手が与えられた1981年、教会墓地が与えられた2009年、横田兄の手紙が発見された2020年…。神のなさることの時にかなった美しさが、教会の歴史の中に豊かに表されていることがわかります。
 その美しさの中身とはよいことだけではありません。この箇所を読む時、神の定めた時の中には、死ぬ時、殺す時、崩す時、泣く時、嘆く時、捨てる時、あきらめる時、投げ捨てる時、裂く時、黙っている時、憎む時、戦いの時など、私たちの目には決して美しいとは思えない時、むしろ辛くて悲しい時も含まれていることがわかります。神の定められた時の美しさとは、それらすべてを含んだ上の美しさであり、それらすべてを含んでいるからこそ、その美しさが際立つのだと思います。神はすべてのことを益に変えてくださるからです。

【3】 人の心に永遠を与えられた
 しかし私たちには必ずしも、そう思えない時があります。何か大きな失敗をしてしまった時、愛する人を失った悲しみに沈む時、人生の大きな危機に巻き込まれた時など、神のなさることの美しさが全く感じられない時も、私たちにはあります。むしろ時の定めが私たちにはとても残酷で、冷酷に見えてしまう時もあるのではないでしょうか。そのように見えてしまうのは、あるいは、そのように感じられてしまうのは、それは私たちが不信仰だからなのでしょうか。
 伝道者の書の著者は3章11節で、次のように語っています。「人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない」。私たちは神のなさるみわざの全体像を見極めることはできません。私たちには結局は、目の前のことしか見えません。私たちの目に見えることによって一喜一憂してしまう私たちなのです。神のなさることの時にかなった美しさがわかるのは、多くの場合、後になってからではないでしょうか。
 しかしそんな時に支配されやすい私たちに、神はプレゼントをくださいました。「神はまた、人の心に永遠を与えられた」。神は人の心に永遠を与えてくださいました。時に支配され、そこから逃げられない私たちのために、神は永遠を与え、永遠に対する思いを与えられました。
 確かに、「天の下」のすべての営みには時があります(1)。しかし「天の上」には時の支配はありません。そこにあるのは永遠です。「天の下」だけ見ていたら、そこにあるのは空しさと絶望ですが、私たちは「天の下」にあって、「天の上」を思うことができます。永遠を思うことができます。それが私たちにとっての慰めであり、希望なのです。

【4】 むすび
 私たちは「天の下」と「永遠」と二つの世界を同時に生きています。はかないこの世の中にあって、確かな永遠の世界に生きるように召されています。それゆえに、この世で課せられる様々な苦労も、「神からの賜物」として感謝して受け止めることができます。そして、それらすべてを神に委ねることができます。
 このはなかない世の中にあって、永遠に続く確かなお働きを継続しておられる方に信頼し、すべてをお委ねしていこうではありませんか。