マリアの賛歌                 ルカの福音書1章46~56節

2023年12月17日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 マリアの訪問を受けて、エリサベツが喜びに満たされました。そして、エリサベツの励ましのことばを聞き、今度はマリアが神を賛美しました。二人が神の素晴らしさを分かち合い、響き合い、感謝と賛美にあふれていることがわかります。

【1】 マリア
 マリアはまず「私のたましいは主をあがめ、私の霊は私の救い主である神をたたえます」と、神を賛美しました。この賛美がマリアの「たましい」「霊」からの心からの賛美であったことがわかります。
 マリアはなぜ賛美しているのでしょうか。その理由について、マリアは次のように語りました。「この卑しいはしために目を留めてくださったからです。ご覧ください。今から後、どの時代の人々も私を幸いな者と呼ぶでしょう(48)。」 マリアは卑しいはしためであるのに、それにも関わらず神はそんなマリアに目を留めてくださいました。
 卑しいことが、神の前では全く恥ずかしいことではありませんでした。自分自身の卑しさが、神との関係において障害になることもありませんでした。こんな自分を神が尚も愛してくださり、受け入れて下さっていること、それが彼女の大きな幸せだったことがわかります。
 マリアが神を賛美した理由がもう一つあります。それは「力ある方が、私に大きなことをしてくださったから(49)」でした。神はマリアにしてくださった大きなこととは何だったでしょうか。それは救いのみわざでした。マリアは続けて「主のあわれみは、代々にわたって主を恐れる者に及びます(50)」と告白しています。神のあわれみ対する感謝が、このことばには表されています。
 聖なる神の前に立つ時に、自分の罪が示されます。しかし、主はそのあわれみのゆえにマリアを赦し、受け入れてくださいました。神はマリアに目を留めてくださっただけでなく、罪と死と悪魔の支配からマリアを救い出してくださいました。マリアにとって神とは「私の救い主(47)」だったのです。このような神を知り、神に知られていること、神との親しい交わりの中で生かされていることが、彼女にとっての最高の幸せだったのです。
 私たちはどんな時に幸せを感じるでしょうか。どこに私たちの幸せを見出しているでしょうか。神に目を留めてもらっていること、神に愛され受け入れられていること以上に大きな幸せはないことを、私たちは覚えたいと思います。

【2】 イスラエル
 この賛歌の前半部分で個人的な感謝と賛美をささげていたマリアが、後半に入ると、イスラエル全体になされる神のみわざを覚えて賛美していることがわかります。マリアは自分の胎内に与えられる男の子がどのような方であるかを、知っていました。御使いガブリエルを通して、この男の子が「大いなる者」「いと高き方の子」「父ダビデの王位を与えられる方」であることを知らされていました。この方によってなされる偉大なみわざを覚えて、マリアは神を賛美したのです。
 この方は、その御腕で力強いわざを行い、心の思いの高ぶる者を追い散らし(51)、権力のある者を王位から引き降ろし(52)、富む者を何も持たせず追い返されました(53)。その一方で、低い者を高く引き上げ(52)、飢えた者を良いもので満ち足らせ(53)、しもべイスラエルを助けてくださいました(54)。この方はその力強い御手で、地上で正義を行使されることがわかります。
 気づかされる一つのことは、これらのことはすべて過去形で記されている点です。まだこの救い主は誕生していないのに、これから起こることなのに、マリアは既に実現したことであるかのように語っています。それらのことが、この男の子によって実現することをマリアが確信していたことがわかります。
 どうしてマリアはそのように信じることができたのでしょうか。それは神が父祖たちに語られたとおりに、アブラハムとその子孫に対するあわれみを、いつまでも忘れない方だからです(55)。神は約束されたことを必ず実現されると、マリアが信じていました。マリアの信じる神は、彼女の先祖であるアブラハム、イサク、ヤコブの神でした。彼女の先祖たちに神が約束されたことが、マリアに与えられた男の子を通して、まさに実現されることがわかります。

【3】 神のみわざ
 神はそのあわれみのゆえに私たちに目を留めて、私たちを救い出してくださいました。しかし、神がなされていることはそれだけではありません。神はこの世界とこの歴史を支配しておられます。この世界に御国を築き、この地に平和を築こうとしておられます。その力強いみわざが歴史の中で展開されています。
 今の世の中は、私たちの目には悲惨な状況に見えると思います。混乱と混迷が極まり希望がなく、この世は悲しみと苦悩で満ちているように感じられると思います。その中にあって私たちも不安や心配で心がすぐにいっぱいになってしまいます。とても惑わされやすい状況になりつつあります。
 しかしこの世の国々の興亡の中にあって、激しく流れる時代の潮流の中にあって、王なるキリストのみわざはたくましくなされ続けていること、御国は確実に成長していることを私たちは覚えたいと思います。そして、キリストは必ずこの世に平和をもたらします。それは確実です。そのようなマリアの信仰を私たちももたせていただこうではありませんか。