エリサベツとマリア         ルカの福音書1章39~45節

2023年12月10日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 エリサベツは神の祝福を受けて、赤ちゃんを身籠りました。マリアも恵みによって救い主の母となることを、御使いを通して知らされました。その二人が今日の箇所で出会います。そのことによって二人とも喜んでいます。その出会いによって喜びが倍になりました。ここに、信仰者に与えられる交わりの素晴らしさが表されています。

【1】 交わりを求めたマリア
 御使いガブリエルが去った後、マリアは立って山地にあるユダの町に急いで行きました。ナザレからユダヤ地方まで最低でも70マイル(約112キロ)あっただろう、と言われています。しかもそれは平地にではなく山地にある町です。12~13歳くらいの少女が、これだけの距離を移動することは、普通では全く考えられないことではないでしょうか。
 なぜマリアは、これだけの苦労も覚悟でエリサベツのところに駆け付けたのでしょうか。それはエリサベツとの交わりを求めたからです。御使いの語ったことばの中に、親類のエリサベツが男の子を宿してもう六か月である、との知らせがありました。そのことばを聞いて、マリアはどうしてもエリサベツに会いたくなりました。
 どうしてでしょうか。それはその時のマリアの気持ちを理解してくれる人は、ナザレには一人もいなかったからです。マリアが聖霊によって男の子を身籠るという事実を誰が理解してくれるでしょうか。しかし、エリサベツだけはそのことを理解してくれます。神はマリアのために、あらかじめエリサベツを用意してくださっていたのです。
 私たちにとっても同じ信仰をもつ兄弟姉妹との交わりは欠かせません。その一つの理由は、私たちも同じように理解されることが少ないからです。私たちが神からの祝福を受けても、そのことで共感してくれる人はこの世にはあまりいません。キリストにある信仰を理解できない人々と、同じ信仰を響かせ合うことはできないのです。
 
【2】 聖霊に満たされたエリサベツ
 そのようにマリアは遠路はるばるエリサベツのところにやって来ました。そして二人は出会うわけですが、その出会いによって喜んだのはマリアよりも、むしろエリサベツの方でした。マリアのあいさつを聞いた時、エリサベツの子が胎内で踊り、エリサベツは聖霊に満たされました。そしてエリサベツは「あなたは女の中で最も祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています」と大声でマリアを祝福しました。エリサベツがマリアとの出会いによって、喜びを爆発させていることがわかります。エリサベツが聖霊に満たされた結果でした。
 聖霊が生み出す交わりについて、私たちはこの箇所から三つのことを教えられます。第一にそれは、神の愛に満たされる交わりでした。エリサベツは、神がマリアを祝福してくださったことを喜びました。マリアが幸せになることが、エリサベツの幸せでもありました。エリサベツの心の内に、神の愛が注がれていたことがわかります。
 第二にそれは、神の素晴らしさを分かち合う交わりでした。このことを通してエリサベツは神の素晴らしさを再確認しました。エリサベツのうちに神に対する感謝と賛美があったのです。
 第三にそれは、みことばの確かさを分かち合う交わりでした。エリサベツは最後に語りました。「主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです」。エリサベツの夫のザカリヤは御使いによって語られた神のことばを信じることができませんでしたが、エリサベツ自身は男の子を身籠り、みことばの確かさを経験しました。その経験をもって、同じようにみことばを信じたマリアを励ましているのです。
 
【3】 気をつけなさい
 このような神の愛に満たされる交わり、神の素晴らしさを分かち合う交わり、みことばの確かさを共有する交わりが私たちにも必要です。しかし、そのような聖霊に満たされた交わりがいつも経験されているかと言うと、必ずしもそうではありません。なぜなら私たちは多くの場合、私たちの内側にある肉の性質を温存したままで互いの交わりをもとうとするからです。
 ガラテヤの教会は、そのような清められない状態で交わりを持とうとしたために、混乱してしまったようです。パウロに以下のように指摘されています。

「気をつけなさい。互いに、かみつき合ったり、食い合ったりしているなら、互いの間で滅ぼされてしまいます(ガラテヤ5の15)。」

 キリストの愛によって生かされているはずの教会も、気をつけていないと「互いにかみつき合ったり、食い合ったり」してしまうのです。その原因は、私たちの肉の欲が十分に処理されないままで交わりをもとうとするからです。
 そうならないために聖書は私たちに「御霊によって歩みなさい」と命じています。御霊だけが私たちの内側の肉の問題を解決し、私たちの心を神の愛でいっぱいにしてくださるのです。