主を求めよ、お会いできる間に        イザヤ書55章6~13節

2023年11月26日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

【1】 主を求めよ
 「出て来るがよい(1)」と呼びかけた預言者イザヤが、6節では「主を求めよ」と呼びかけています。人は「出て来るがよい」との呼びかけの声を聞いて、すぐに出てくるわけではありません。自分自身の中に欠けや渇きを意識するのに、それらがあるからこそ、私たちはなかなか神の前に進み出ることができません。何か違うものを求めてしまうことも多いのです。
 もちろん、神の恵みは無条件にただで与えられます。もし私たちが、みことばに耳を傾けて神の元に出て行く時、そこには満たしがあり、いのちがあることをイザヤは示しました。しかし、それでも問題が解決するわけではありません。主はいつも私たちを呼びかけています。それなのに私たちはすぐに応答することができません。どうしてでしょうか。一番大きな問題は、私たちが神のことをよく知らないという点にあるのです。
 イザヤは6節で、「主を求めよ」「呼び求めよ」と語りかけました。このことばからわかること、それは、私たちは主を求めることができる、ということです。私たちは主を求めることができます。「主を求めよ」とは、「自分の欠けや必要を主に知ってもらいなさい」という意味の呼びかけです。欠けた状態を恥ずかしかることなく、神の前に自分のありのままの状態を伝えることができます。そして、その求めに主は必ず応えてくださいます。それなのに、求めることに実に乏しい私たちではないでしょうか。
 しかもイザヤは「お会いできる間に」「近くにおられるうちに」と続けました。このことばより今、私たちは主を呼び求める時に必ず主とお会いできることがわかります。主が私たちのすぐ近くにおられるからです。
 そのことを私たちはあまり知らないのではないでしょうか。それゆえに私たちは主を求めるのではなく、違うものを求めてしまいます。人を求めてしまいます。人に期待し、人の反応に振り回されてしまいます。自分の期待に人が応えてくれない時に、とまどったり、怒ったり、寂しかったりします。
 私たちは、求めるべき対象を間違っていることが多いのではないでしょうか。主が近くにおられるのに、呼べば必ずお会いできるのに、その主との出会いを求めることをせず、人間によって与えられる励ましや慰めを期待していることが多いのではないでしょうか。
 いずれ、呼び求めても主とお会いできない時がやってきます。神が近くではなく遠くに離れていってしまう時がやってきます。でも、今はその時ではありません。今は「恵みの時、救いの日(Ⅱコリント6の2)」です。ぜひ遠慮せずに主を呼びかける者でありたいと思います。私たちのすぐ近くにおられる主によって、私たちは満たされ、支えられることを求めていきたいと思います。

【2】 主に帰れ
 さらにイザヤは7節で「主に帰れ。主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ、豊かに赦してくださるから」と語りました。主に呼びかけて、そこで主の応えがあれば、私たちは安心して帰ることができます。
 しかし、心は神に向かいながらも、なかなか帰ることのできない私たちです。教会に心ひかれながらも、福音に関心を持ちながらも、なかなか帰る決断のできない人も多くおられます。何かが阻んでいるのです。
 イザヤは「主に帰れ」と語りかける前に「捨て去れ」と言いました。「悪しき者は自分の道を、不法者は自分のはかりごとを捨て去れ」と語りかけています。主の元に帰ることをはばんでいるのは、「自分の道」「自分のはかりごと」であることがわかります。私たちは自分自身の道や計画をなかなか捨て去ることができません。それゆえに主の元に帰ることができないのです。
 「主に帰る」とは、180度の方向転換をすることです。神に背を向けて歩いていた私たちが、神の呼びかけの声に応じて、神の方を向くこと。そして、神に向かって歩みだすことです。その時、神はわたしたちをあわれんでくださいます。そして、豊かに赦してくださいます。放蕩息子が戻ってきた時に、父親はその息子を抱きしめ、受け入れたように、私たちのことも赦してくださるのです。

【3】 むすび
 かつて少し努力すれば、必ず結果が返ってくるという時代があったと思います。しかし、今はもうそのような時代ではありません。自然災害があり、疫病の蔓延があり、戦争の勃発があり…人間の力の限界を思い知らされるような昨今ではないでしょうか。
 でも私たちは今、それだけ私たちのたましいの渇きに素直に迎える時を迎えているのではないでしょうか。そして素直な心で、主を呼びかけることのできる状況になりつつあるのではないでしょうか。
 主は近くにおられます。呼べばすぐにでもお会いできます。私たちはあきらめないで、イザヤのように呼びかけたいと思います。「主を求めよ」「主を呼び求めよ」「主に帰れ」と、人々に語りかけたいと思います。主が人々をお招きしている思いをお伝えしようではありませんか。