上からくる良い贈り物           ヤコブの手紙1章16~18節

2023年10月1日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

【1】 思い違いをしてはいけません
 2節で「私の兄弟たち」と呼びかけたヤコブが、16節の冒頭では「私の愛する兄弟たち」と呼びかけています。各地に離散してしまった信徒たちに対する愛を、ヤコブは明らかにしています。
 その上で語りかけました。「思い違いをしてはいけません。」 信徒たちに対してヤコブが心配していることがありました。それは彼らが思い違いをしてしまうこと。与えられた試練を誘惑と受け止めて、「神に誘惑されている」と思い違いをしてしまう危険があったのです(13)。
 思い違いをしてしまう第一の原因は、試練と誘惑の区別が難しい、という点にありました。どちらも苦しみの経験です。試練と受け止めるならば、それを神から与えられた成長の機会として信仰をもって受け止めることができます。しかし、誘惑と受け止めてしまうならば神が加害者であり、自分は被害者になってしまいます。そこでは、とても信仰を働かせることができません。
 さらに思い違いをしてしまうもう一つの原因は、私たちの中にある傾向です。私たちは目に見えることがらに支配されやすく、ことがらを悪い方に考えてしまいます。苦しみにあうと、神の愛を疑ってしまい、不平不満に心を支配され、神に信頼できなくなってしまうのです。そのような私たちの中にある傾向に、私たちは自覚的でありたいと思います。

【2】 上からくる良い贈り物
 そのような私たちの内側にある傾向を意識しながら、私たちは果たしてどのように対策をとることができるでしょうか。神ご自身を正しく理解することが必要です。私たちの不信仰は多くの場合、私たちの神に対する理解不足から来ているからです。私たちの神はどのような方でしょうか。私たちに対して何をしてくださったでしょうか。
 まず私たちの神は「すべての良い贈り物、すべての完全な賜物」を上からくださいます。それは清いもの、平和で、優しく、協調性があり、あわれみと良い実に満ち、偏見がなく、偽善でもありません(5の17)。そしてそれは地上のものではありません。それらすべて良いものを、父なる神は上から私たちに贈り物としてくださるのです。
 それは譬えて言うならば光のようです。父なる神には光のように影がありません。季節によって天体の運行によって月が欠けたりして影が生じることがあります。この世には光と影があります。光そのものには影がないのに、私たち人間が自らの愚かさによって影をつくってしまうのです。
 しかし神ご自身には影はありません。つまり上からくるものはすべて良いものです。神からの完全な賜物です。そしてその中で一番の贈物はイエス・キリストであり、その後、私たちに与えられた聖霊なる神です。神の恵みがいつも上から注がれています。主がいつも良いものを私たちにくださり続けていることを、私たちは覚えたいと思います。

【3】 父が生んでくださいました
 さらに神は私たちに対して何をしてくださったでしょうか。父なる神は私たちをみこころのままに真理のことばをもって、生んでくださいました。私たちに与えられた救いの恵みの一つは「新生」です。私たちはイエス・キリストを救い主として信じ受け入れた時、神は私たちを生んでくださいました。何によってですか。真理のことばをもって、です。みことばによってイエス・キリストを信じるように導かれ、新しく生まれ変わりました。
 何のためにそのような恵みを神は私たちに与えてくださったのでしょうか。私たちを「被造物の初穂」とするためでした。旧約聖書の時代、イスラエルの民は収穫の時に初穂を神にささげました。初穂は神のものだったのです。同じように被造物の初穂とされた私たちも神にささげられ、神のものとなりました。私たちを神ご自身のものとするために、私たちを生んでくださったのです。
 つまり私たちはもはやこの世のものではありません。御国の民です。朽ちていく私たちは、朽ちないものに変えられます。そのようなみわざを神はすでに私たちのために、してくださったのです。
 
【4】 むすび
 私たちの苦難の時に必要なことは何でしょうか。第一に自分の思いに囚われないこと。私たちはすぐに思い違いをしてしまいます。
 第二に、神がどのような方で、何を私たちにしてくださったのかを思い出し、忘れないこと。神は私たちを上からの良い贈り物で満たし、支えてくださる方です。また私たちに永遠のいのちを与え、私たちをご自分のものとしてくださいました。そのような正しい理解と、神に対する信頼によって私たちの信仰は養われていきます。
 どうか苦難の中にあって、神の愛を疑うことがありませんように。思い違いをしてしまうことがありませんように。試練の時に神を仰ぎ、この方に信頼していきましょう。