聞くのに早く、語るのに遅く    ヤコブの手紙1章19~21節

2023年10月15日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 16節で「私の愛する兄弟たち」と呼びかけていたヤコブが、19節でも「私の愛する兄弟たち」と繰り返し、呼びかけています。ヤコブは何か大事なことを語ろうとする時に、この呼びかけをもって信徒たちに対する愛を明らかにしていることがわかります。

【1】 聞くのに早く、語るの遅く、怒るのに遅く
 そのような呼びかけの次に語られたのは「このことをわきまえていなさい」との一言。このことばは以前の聖書では「あなたがたはそのことを知っているのです」という訳になっていました。すでに知っていることを改めて自覚しなさい、とヤコブはここで命じていることがわかります。
 彼らの中でよく自覚されていなければならないこと、それは「人はだれでも、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい」ということでした。特に、この順番をよくわきまえておくことが大事でした。
 なぜなら私たちが普段の歩みの中でよく経験していることは、「聞くのに遅く、語るのに早く、怒るのに早い」ということだからです。聖書で教えられていることと全く逆のことをしてしまっていることが、私たちには何と多いことでしょうか。私たちはよく聞きもしないで語り始め、すぐに怒り始めてしまいます。特にコントロールされない私たちの口と、私たちの怒りは密接につながっています。ヤコブが3章8節で「舌を制することができる人は、だれもいません。舌は休むことのない悪であり、死の毒で満ちています」と指摘している通りなのです。
 一体どうすれば私たちは自らの舌を制し、語るのに遅く、怒るのに遅くなることができるのでしょうか。それはここで教えられている順番をよくわきまえて、まず聞くのに早くすること。聞くことに徹することです。特にみことばによく耳を傾けること。イエス様も繰り返し「耳のある者は聞きなさい(マタイ13の9
」と教え、みことばに聞くことの大切さを教えておられます。
 私たちの失敗の多くは、よく聞きもしないで語り始めてしまう点にあります。まず聞くことに徹しましょう。聞くのに早くありたいと思います。

【2】 人の怒りは神の義を実現しない
 続けてヤコブは「人の怒りは神の義を実現しないのです」と教えました。私たち人間の怒りは、神に対する私たちの義を実現しない、ということ。つまり、私たちの怒りは決して神を喜ばせることができない、という意味です。
 ヤコブの手紙の読者の中には、不当な差別や搾取に苦しみ、そのような社会悪に対して怒りを覚える人々もいたのだと考えられます。そのような正義の怒りを抱くのは人として当然のことであり、そのような怒りによってこそ神の義が実現すると考える人々がいたのだと思います。
 確かに聖書は怒りのすべてを否定しているわけではありません。イエス様も頑なな律法学者たちの姿を見て怒られました。この世には、義なる怒りが確かに存在します。しかしパウロはエペソ4章26節で「怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません」と教えています。私たち人間の怒りがいかに私たちの罪の性質と結び付きやすく、すぐに暴走を始めてしまうのかも、神はよくご存知なのです。

【3】 捨て去り、受け入れる
 よって私たちに求められていることは「すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植え付けられたみことばを素直に受け入れる」こと(21)です。
 私たちには二つのことが求められています。まずはすべての汚れやあふれる悪を捨て去ること。これは私たちの罪を告白し、悔い改めることを表しています。その上で、みことばを受け入れること。特に心に植え付けられたみことばを素直に受け入れなさい、と命じられています。
 私たちはみことばをよく聞いているのに、みことばを学ぶことも多いのに、なぜかみことばが心の表面を上滑りしてしまい、心に植え付けられていかないことがあります。また、なかなか素直に受け入れることができません。どうしてでしょうか。
 受け入れる前に棄て去ることができないからです。私たちは自分の中にある我がまま、自分勝手で自己中心の性質を決して捨てません。それを放置したり温存したりしながら信仰者らしく振舞おうとしてしまいます。イエス・キリストに対する信仰によって私たちは新生し、聖霊も与えられているのに、相変わらず「肉に属する人」のままなのです。そのような自分自身を自覚することもなく、そのような自分と闘おうともしません。それゆえにいつまでも肉的で成長しない信仰者になってしまうのです。
 しかしみことばが心に植え付けられていく時、そのみことばは私たちのたましいを救うことができます。私たちの内側を清め続け、キリストの香りを放ち、神の栄光を表す者として少しずつ変えられていくのです。
 
【4】 むすび
 洗礼を受けた後、成長がとまってしまうことがありませんように。私たちはまず聞いて、捨て去り、そしてみことばを素直に受け入れていきましょう。