あふれる祝福            ヨブ記1章1~5節、42章12~17節

2023年1月8日 飯能キリスト聖園教会  主日礼拝説教要約(山村英夫師)

神さまは私たちを祝福してくださろうとしておられます。
神さまの祝福とは、どのようなものなのか、ヨブの経験を通してみていくことにいたします。

(1)1章1節でヨブの人となりが紹介されています。「この人は誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっていた。」とあります。更に8節で「彼のように…神を恐れて悪から遠ざかっているものは、地上には一人もいない。」と書かれています。またヨブは2~3節を見ていくと「7人の息子と3人の娘に恵まれ多くの家畜としもべを所有していた」とあります。4節では息子たちはお互いに良い関係を持っていました。更に5節ではヨブは息子たちのために絶えずとりなし祈っていました。このようにヨブはあらゆる面からみて立派な信仰者であり正しい人であったことがわかります。
ところが、このヨブに突然大きな試練が襲ってきました。1章13~37章22節にかけて様々な試練や苦しみ、痛みがヨブを襲ってきた様子が書かれています。ヨブはこの試練の中で家族を失い、財産を失い、健康を失っています。更にヨブを慰めにやって来た友人たちには罪を悔い改めるようにと激しく責められています。
神さまの前に誠実で正しく悪から遠ざかっていたヨブがなぜこれほどまでに苦しまなければならなかったのでしょうか。それは神さまがヨブを愛し、今より大きな器にし、さらに多くの祝福を受けることができる器へと造り変えるためでした。42章6節で正しい人であったヨブがちりと灰の中で自分の足らなさを示され悔い改めています。
人との比較の中では確かにヨブは誰よりも優れた立派な信仰者であったのですが、神さまの前にはまだ足りないものがあったのです。その部分を試練という苦しみを通してヨブは知らされたのです。物事が順調に進んでいるうちは、誰でも自分の中に隠された罪や問題点があってもそれに気がつくことはなかなか難しいものです。
しかし、このように正しい人が厳しい試練に遭ったとき自分に何が足りないのか、まだ解決されていない問題点がなかったのか探ることができます。私たちもヨブのようにそれらを解決したときに今の自分の器よりさらに大きな器へと造り変えていただくことができるのです。その結果、神さまはより多くの祝福をその器の中に盛ることがおできになるのです。

(2)神さまに器を大きくしていただいたヨブが42章12~17節そこにはヨブは試練を受ける前の2倍の祝福を神さまからいただいた様子が書かれています。
私たちが神さまからいただくことができる祝福とはどのようなものでしょうか。ヨブが受けたような経済的な祝福も確かに祝福です。ところが、これはすべてのキリスト者が同じよ うに受けることのできるものではありません。受けることのできる人とできない人の違いが出てきます。
神さまがすべてのキリスト者に与えてくださる祝福は(神さまが私たちと共にいてくださる)ということです。突然、私たちは思ってもいなかった出来事に出くわしてしまった時にはあわてたたり、取り乱してしまったり、自分を見失ってしまったりしてしまいます。そんな時にも主なる神さまは私たちと共におられるのです。そして、私たちを助け、励まし、慰めてくださるのです。私たちは自分だけでその苦しみや問題を抱え込んでしまう必要はありません。神さまがいつも私たちの傍にいてくださり道を開いてくださるのです。
神さまがいつも私たちと共にいてくださる祝福を頂きましょう。