麦の中の毒麦              マタイの福音書13章24~30節

2023年1月29日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 前回の説教では御国を知っていることの幸いについて、教えられました。救い主イエス・キリストとともに歩む人生は、確かに幸いです。しかし現実は厳しい、という気持ちも私たちの中にはあります。そのような私たちの心の葛藤を、イエス様はご存知であることを、今日のメッセージを通して感じさせられます。

【1】 麦の中の毒麦
 「四つの種」のたとえに続き、イエス様は「麦と毒麦」のたとえを語られました。ある人が自分の畑に良い種を蒔いたのに、人々が眠っている間に敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行ってしまいました。それゆえに麦が芽を出して実ったときに、毒麦も現れました。
 驚いたのは主人のしもべたちです。主人の下に駆け付けてその事実を伝えると主人は一言「敵がしたことだ」。しもべたちは「私たちが行って毒麦を集めましょうか」と提案すると、収穫の時まで両方とも育つままにしておくようにと彼らは主人から指示されました。
 イエス様の解説(37~43)によると、良い種を蒔く人は「人の子」つまりイエス様で、畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らを表しています。御国がイエス様によってせっかく建設されているのに、悪魔がやって来てその中に悪をまき散らしていくことがわかります。その結果、御国の中に悪も成長してしまいます。
 御国の子らは、それらの悪を除去したいのですが、それをイエス様は許されません。代わりに収穫の時まで待つようにと指示されました。それゆえに御国の中 にも悪がはびこり、その結果、そこには様々な苦しみが存在してしまうことがわかります。

【2】 苦しみ
 私たちが注目したいのは、しもべたちの反応です。彼らは「どうして毒麦が生えたのでしょう(27)」と主人に問いかけました。彼らの強い落胆と失望の気持ちが伝わってきます。このことばが次の28節のことばに続いていきます。「それでは、私たちが行って毒麦を抜き集めましょうか。」 このしもべたちの姿は、私たちの姿です。幸いなはずの御国の中に悪がはびこることなど、どうして私たちは容認することができるでしょうか。私たちだって、その毒麦である悪を取り除きたくなります。
 そんなしもべたちの提案に対して主人は「いや」と言いました。そして収穫の時まで両方ともそのままにしておきなさい、と指示されました。この主人の対応に私たちもとまどいます。なぜならば私たちは様々な悪に取り囲まれ、多くの苦しみを経験しなければならないからです。なぜ私たちの人生には苦しみがあるのでしょうか。そして、どうして神はその苦しみを放置しておられるのでしょうか。

【3】 収穫の時
 毒麦を抜き集めてはならない理由は二つです。第一に「毒麦を抜き集めるうちに麦も一緒に抜き取るかもしれない」から。悪の影響は私たちが想像する以上に根深く、大きな影響を及ぼしているものです。悪そのものを除去しようとすることで、多くの被害を人々にもたらすことになりかねません。
 もう一つの理由は収穫の時が用意されている、ということです。神はこの事態をいつまでも放置しているわけではありません。必ず収穫の時、つまり世の終わりがやって来て、その時にさばきがなされます。毒麦は集められて火で焼かれ、良い麦は集められて「御国で太陽のように輝く(43)」のです。
 私たち信仰者はその時の訪れを忍耐深く待ち続ける必要があります。この世にあって苦難はあります。しかし主イエスはこの世にすでに勝利されました(ヨハネ16の33)。その主とともに私たちは信仰をもって歩んでいくのです。

【4】 むすび
 このたとえ話の冒頭でイエス様は「天の御国は次のようにたとえられます」と語られました(24)。この話が本当に「天の御国」のたとえなのでしょうか。この世の現実のたとえのように思えます。しかしイエス様は、麦の中に毒麦が混じる世界を「天の御国」と言い表されました。
 私たちは時々、信仰の世界と現実の世界を分けて考えてしまうことがあります。御国の教えに感謝しながら、普段の歩みの中ではこの世の規準に従って歩んでしまうことがあります。その結果、ダブルスタンダードの信仰が形作られてしまうのです。
 イエス様が私たちに求めておられるのは、この世の現実の歩みの中に御国をもたらすことです。御国の出来事と、この地上の出来事はそれぞれ別世界のことではありません。同じ世界の中で起きています。私たちの生活のただ中に御国はあります。私たちが向き合う苦しみや悩みや葛藤の中に、主がともにおられ、そこに神の支配が及び、御国が実現するのです。
 主が戻ってこられるその日まで、私たちの忍耐は続きます。しかし主は私たちに伴っておられます。私たちを導いてくださいます。そしてやがて来るその時に、私たちは御国で「太陽のように輝く」のです。その日を待ち望みながら、信仰の歩みを力強く歩んでまいりましょう。