天の御国の奥義           マタイの福音書13章10~17節

2023年1月22日 飯能キリスト聖園教会 礼拝説教要約(若井和生師)

 イエス様は「四つの種」の譬えを群衆に向かって語られました(2~3)。するとそばにいた弟子たちがイエス様に、「なぜ、彼らにたとえでお話しになるのですか」と問いかけました(10)。弟子たちは「たとえではなく、もっとストレートに語られたらよいのに…」との思いを抱いたのかもしれません。イエス様はそのような弟子たちの問いかけに答えて、たとえで話す理由を語られました。

【1】 たとえで話す理由① 御国の奥義を知ることが許されていない
 なぜイエス様はたとえでお語りになったのでしょうか。それは弟子たちには天の御国の奥義を知ることが許されているのに、群集たちには許されていないからでした。御国の奥義を知ることが許されている人と、許されていない人の二通りの人々がいることがわかります。
 イエス様は人々を区別しているのでしょうか。弟子たちを特別視し、群集たちを軽んじているのでしょうか。そうではありません。イエス様は群衆たちに向かってみことばを語りました。群衆たちにも御国を伝えようとしておられます。しかし結果的に御国を受け入れる人々と、そうでない人々に分かれてしまいました。それまでのイエス様の宣教活動を通してイエス様を信じる人も起こされましたが、イエス様の教えを聞いてとまどい、反発を覚える人々も多かったのです。
 人々のイエス様に対する反応はなぜ、分かれてしまうのでしょうか。それが「四つの種の譬え」で教えられていることでした。御国の教えを聞く、その聞き方に違いがあったのです。
 イエス様はここで「御国の奥義を知ることが許されている」と語られました。「御国の奥義」とは、「御国の隠された真理」という意味です。御国の真理は隠されています。そしてある人々にはその真理を知ることが許されました。つまり、私たちが聞く耳をもってみことばを聞く時、つまり、備えられた心でみことばに耳を傾ける時に、神が御国の奥義を私たちに明らかにしてくださいます。これは神の恵みなのです。

【2】 たとえで話す理由② 心が鈍い
 なぜイエス様はたとえでお語りになったのでしょうか。二番目の理由は、人々の心が鈍いからです。彼らは見てはいても見ず、聞いてはいても聞かず、悟ることもありませんでした。そしてイエス様はここでイザヤ書6章9~10節のみことばを引用して、これはイザヤの預言の成就であることを告げました。
 イザヤ6章とはイザヤが預言者として召される場面です。「だれを、わたしは遣わそう。だれが、われわれのために行くだろうか」との神の問いかけを聞いて、イザヤは「ここに私がおります。私を遣わしてください(8)」と答えました。そのようにしてイザヤは神のみことばを伝える預言者となりました。
 その直後にイザヤに伝えられたのが6~9節のことばです。「この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を堅く閉ざせ。彼らがその目で見ることも、耳で聞くことも、心で悟ることも、立ち返って癒されることもないように(10)」。せっかく預言者として召されたイザヤのことばに、耳を傾ける人は誰もいない事実がイザヤに突き付けられたのです。
 イザヤに語られたその神のことばが今実現したと、イエス様は語られました。イエス様もイザヤと全く同じ気持ちだったことがわかります。
 いくら語っても聞く人々がいないとしたならば、なぜ語る必要があるのでしょうか。それは無駄ではないでしょうか。しかし、イエス様は語り続けました。御国をどうしても伝えたいイエス様の強い願いと、その御国を受け付けない人間のかたくなな心のはざまで、苦しんでいるイエス様の気持ちが伝わってきます。

【3】 御国を知らされた人の幸い
 そんなイエス様にとっての慰めは弟子たちの存在でした。イエス様は弟子たちに向かって、「あなたがたの目は見ているから幸いです。あなたがたの耳は聞いているから幸いです」と告げられました(16)。悟る人の少ない中にあって、弟子たちだけは御国を知ることができました。それはイエス様にとっても喜びだったのです。
 そしてそれは何よりも弟子たちにとって幸せなことでした。なぜなら、旧約聖書の時代の預言者たちや義人たちが見たいと切に願った御国を、彼らは遂に見て知ったからです(17)。昔の人たちが待望していた救い主が遂にやって来ました。今、弟子たちの目の前におられます。そして、この主は救い主であり、彼らとともにおられるインマヌエルの主です。この御国の民とされた弟子たちは、この世にあってこの世にはない、天上の幸せを手にしたのです。

【4】 むすび
 御国を私たちに伝えたいと願っておられるイエス様の強い思いを、私たちは覚えたいと思います。同時に、その御国を私たちが受け入れず拒否してしまう時に、イエス様が覚える悲しみの大きさも私たちは覚えたい。イエス様はおっしゃられました。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから(マタイ4の17)」。天の御国は私たちのすぐそばにあります。その御国を知るために必要なこと、それは悔い改めです。神に立ち返ることです。そのようにして私たちはイエス様の思いをしっかりと受け止めて、みことばを信じ受け入れていきたいと思います。