恵みによって生かしてください        詩篇119篇81~88節

2022年8月28日 飯能キリスト聖園教会     礼拝説教要約(若井和生師)

 ウクライナで戦争が始まって半年が経ちましたが、戦争が終わる兆しはなかなか見えてこないようです。私たちの町にミサイルが次々と飛んできて、家も、学校も、病院も、教会も破壊され、多くの尊いいのちが失われ、男たちは戦争にとられ、女たちと子どもたちと高齢者たちだけで国外に避難するということを、私たちは全く考えられないと思います。でも、それが多くのウクライナの人々が今、経験していることです。それを思うと、この地上で今、いかに恐ろしいことが起きているのかがわかります。
 ウクライナの人々は皆、思っているのではないでしょうか。神はなぜ地上でこのような悲劇が起きることを許しておられるのか。なぜこの惨劇を神は黙って見ておられるのか、と。今日の詩篇は、ウクライナの人々の心に迫る内容ではないかと思いました。

【1】 救いの渇望
 「私のたましいは、あなたの救いを慕って絶え入るばかりです(81)。」「いつあなたは私を慰めてくださるのですか(82)。」「このしもべへの日数は、どれだけでしょうか。あなたはいつ、私を迫害する者どもにさばきを行われるのでしょうか(84)。」 詩篇の著者は救いを渇望しています。苦しみの中で多くの傷を負いながら、慰められることを願っています。苦しみの日々から一日も早く解放されることを心待ちにしています。
 彼は高ぶる者たちの迫害によって苦しめられていました。「なぜ神は高ぶる者たちを高ぶるままにさせているのか。なぜ公正なさばきをなさらないのか。」 そのような疑問が、彼の中に渦巻いていたことを感じさせられます。
「高ぶる者は私に対して穴を掘りました(85)。」「彼らは偽りで私を迫害します(86)。」「彼らはこの地上で私を滅ぼそうとしています(87)。」 これが詩篇の著者がこの時、直面していた危険です。高ぶる者たちは彼に対して罠をしかけ、偽りで迫害し、滅ぼそうとしていました。彼はいのちの危険すら感じていたことがわかります。
 その中にあって「どうか私を助けてください(86)」と祈りました。極度の危険と苦しみの中にあって、神に助けを求めました。助けを願いながらも、その助けはまだ来ていません。救いを求めながらも、その救いはまだ実現していません。そんな苦しみの中に置かれたならば、私たちであるならば信仰が弱ってしまうのではないでしょうか。神様を見失ってしまうのではないでしょうか。
 
【2】 みことばの渇望
 ところがこのような苦しみの中にあっても、詩篇の著者の信仰は全く弱まりませんでした。ますます強く、神のみことばを求めていることがわかります。
 「私はあなたのみことばを待ち望んでいます(81)。」「私の目は、あなたのみことばを慕って絶え入るばかりです(82)。」「たとえ煙の中の皮袋のようになっても、私はあなたのおきてを忘れません(83)。」「しかし私は、あなたの戒めを捨てませんでした(87)。」 このように彼は苦しみの中で、神のことばに対する信頼を告白し続けるのです。
 それは彼が、神の仰せが「ことごとく真実(86)」であることを知っていたからでした。彼にとってのみことばとは、彼を罪から守ってくれるもの(11)、助言者(24)、心を広くしてくれるもの(32)、悩みの時の慰め(50)、旅の家での私の歌(54)、喜び(70)、幾千もの金銀にまさるもの(72)でした。そして主は必ず正しいさばきをなされることを彼は知っていました(75)。みことばによって助けられ、養われてきた豊かな経験が、彼を苦しみの中で支えてくれていたのです。
 状況がたとえ変わらなくても、結果がすぐに出なくても、彼にとってはみことばが与えられることが幸せでした。苦しみの中で神様との生きた関係を体験できることが彼の喜びでした。それゆえに彼は苦しみの中にあっても決して絶望することなく、みことばを求め続けたのです。

【3】 イエス・キリストの姿
 このような生き方を体験されたのがイエス・キリストでした。イエス様の人生は苦しみの連続でした。イエス様はいつも十字架を目指し、十字架の道を歩んで行かれました。しかし、そんなイエス様を支え続けたのが、みことばだったのです。イエス様はいつも祈りの時を大切にし、父なる神様との交わりを求め、みことばによって支えられながら、与えられた人生を全うされました。神の恵みによって生かされ続けたのです。
 詩篇の著者も祈りました。「あなたの恵みによって、私を生かしてください(88)。」 恵みによって生かされるとは、自らの弱さを知り、神様との交わりの中で生きることです。状況が好転することが私たちにとって、一番幸いなのではありません。問題が解決することでもありません。苦しみの中で、神様と出会い、みことばによって支えられること、神の恵みによって生かされることが私たちにとっての一番の幸せです。
 苦しみの中で、是非みことばを積極的に求めましょう。神様との生きた交わりを体験しましょう。そして私たちも恵みによって生かされる者となりましょう。