あなたのおきての道を教えてください       詩篇119篇33~40節

2022年7月3日 飯能キリスト聖園教会     礼拝説教要約(若井和生師)

 教会のオルガンの調子が悪くなってしまいました。幸い修理していただけることになりましたが、私たちの信仰も時々、メンテナンスが必要ではないでしょうか。知らず知らずのうちに、正しい軌道から外れてしまっていることがあるからです。

【1】 終わりまで守るために
 前の段落で神の真実な道を選び取った著者(30)は、みことばの導きの中で、主の仰せの道を走り始めました(32)。恵みのことばによって心を広くしていただき、みことばの力を体験している喜びが感じられます。
 その著者が33節で「主よ、あなたのおきての道を教えてください」と祈っています。その理由は「そうすれば、私はそれを終わりまで守る」からでした。地上での旅人としての歩みが終わる時まで、やがて御国に移されるその時まで、彼は主の仰せの道を走り続けたい、と願っています。そのために、みことばが絶えず必要であることを彼は自覚していました。
 彼は自分の偽りの道にすぐに戻されてしまう危うさを意識しています。せっかく神の祝福の道を選び取って、その道の素晴らしさを体験しているのに、知らず知らずのうちに、かつて彼が悩んだ自分の偽りの道に逆戻りしてしまう危険を意識しています。そのような傾向が自分の内側に潜んでいることを彼は自覚しています。
 よって彼はいつも教えられる必要がありました。絶えず「主よ、あなたのおきての道を教えてください」と祈り続けなければなりませんでした。それが与えられた信仰の道を全うするために、どうしても必要な助けだったからです。
 私たちにとって、「みことばの学びが十分である」、ということはありません。「もう十分教えられた」ということもあり得ません。絶えず教えられ続けなければ、私たちはすぐに自分の偽りの道に戻されてしまうのです。絶えず教えられ続ける者となりましょう。

【2】 頭から身体へ、身体から生き方へ
 詩篇の著者はさらに「悟らせてください(34)」「踏み行かせてください(35)」「生かしてください(37)」と祈り続けていることがわかります。「神のおきての道」を教えられたら、そこに留まるのではなく、悟らせてほしい、さらに教えられた通りに歩ませてほしい、と願い続けていることがわかります。
 私たちが聖書から教えられることは大事ですが、教えられるだけで終わってしまうことがあります。日々、聖書を学んでいるのに、たくさん教えられているのに、私たちの生活に、生き方に何の変化も起きないことがあります。教えられただけで、悟ることがないために、せっかく教えられたことが実になっていかないのです。
 「悟る」とは、どういうことでしょうか。それは神様が私たち一人ひとりに、語りかけている事実を意識することです。神様が今の私に何を望んでいるのか、どのように自分を変えたらいいのか、何を今するべきなのか、どの方向に行くことを主は望んでおられるのか、学び理解したみことばの内容から、主は今何をこの者に語っているのか、そのような主の個人的なみこころを深く理解することなのです。
 その事実を悟って初めて私たちは、みことばを自分の歩みの中で生かすことができます。私たちの信仰が頭から身体へ、身体から私たちの生き方へと表されていくのです。私たちはぜひ、教えられるだけで満足しないようにしましょう。教えられたことをよく悟ることができますように。そのためには、みことばの前にしばらくとどまり、思いめぐらし、みことばの内に思いを潜めることが必要です。そのようにして主のみこころを、しっかりと悟っていく者でありたいと思います。

【3】 主の主権の中で
 それでは私たちの信仰は、どうすれば理解する信仰から、生かされる信仰に変わるのでしょうか。ここで使われている動詞の多くが、使役動詞であることを私たちは意識したいと思います。神様が悟らせ、踏み行かせ、心を傾かせ、私たちを生かしてくださいます。私たちが自分で悟り、踏み行き、心を傾け、自分の力で生きるのではありません。すべて主のみわざです。主がみことばが理解できるように、みこころを悟ることができるように、みことばに歩むことができるように、そしてみことばに生かされるように、私たちを導いてくださるのです。私たちが自分で理解したり、生きていると思っているとしたら、それは傲慢で高ぶりです。
 「あなたのしもべへの仰せのことばが成り、私があなたを恐れるようにしてください(38)。」 神様の導きの中で、神様のみことばが私たちの人生の中で実現します。その時に、私たちに生じる思いは神様に対する恐れです。みことばに対する恐れです。自分を誇ることなどとんでもありません。そのようにして、私たちの中でみことばが実現し、私たちはみことばに生かされる者とされていくのです。 

【4】 むすび
 この詩篇の著者は最後に「あなたの義のわざにより私を生かしてください(40)」と祈りました。教えられ、悟り、踏み出し、生かされるのは、すべて神の義のわざがなされた結果です。貧しい自分を素直に認めて、私たちも祈りましょう。主の助けを求めましょう。その時に、主が私たちを神の義のわざによって生かしてくださいます。その恵みを日々味わう者でありたいと思います。