地はあなたの恵みに満ちています         詩篇119篇57~64節

2022年7月24日 飯能キリスト聖園教会     礼拝説教要約(若井和生師)

【1】 主は私への割り当て
 詩篇119篇の六段落目では「恵み」、七段落目では「慰め」ということばに注目しました。今日の八段落目の箇所でまず注目したいのは、「主は私への割り当てです(57)」ということばです。「割り当て」と訳されていることばは「相続地」「分け前」とも訳されることばで、神様が生活の必要を満たしてくださる方であることが、示されています。
 旧約聖書の時代、イスラエル12部族の中でレビ族だけには所有地が与えられませんでした。神ご自身が彼らの「割り当て」であり、「ゆずり」だったからです(民数記18の20)。「神ご自身が必要を満たしてくださる」との同じ信仰に、この時の詩篇の著者も立たされていたことがわかります。
 そう約束されていたからと言って、彼に不安がなかったわけではありません。彼は神様を必死に求めました。神様にすがらざるを得ない状態でした。「私は心を尽くして、あなたに乞い求めます。みことばのとおりに、私をあわれんでください(58)」。神のあわれみがなければ、彼は主に信頼することもできない状態だったのです。
 神様を強く意識する中で、自らの歩みを軌道修正する必要をも彼は覚えました。「私は自分の道を顧みて、あなたのさとしの方へ足の向きを変えました(59)」。自らの心と生き方を謙虚に反省しながら、神様の前で彼が整えられていることがわかります。
 神様は私たちの必要も、いつも満たしてくださいます。明日のことが不安になることも多くありますが、そんな不信仰な私たちを主はあわれんでくださいます。私たち自身の信仰も整えられながら、主は私たちを祝福へと導いてくださるのです。

【2】 悪しき者の綱が私に巻き付いても
 私たちの不安が掻き立てられると、私たちは正常な判断を失い、だまされやすくなってしまいます。詩篇の著者もこの時、「悪しき者」の攻撃を意識していました。「悪しき者の綱」が彼に巻き付いて感じられる状態だったのです(61)。
 しかし、そのような状態の中にあっても、彼は神のみおしえを忘れませんでした。悪しき者の攻撃は変えられない現実です。それを取り除くことは困難でした。そんな中にあっても大事なことは、神のみおしえを忘れないこと。もし、みおしえを忘れたならば、自分の気持ちに捕らわれたり、神の恵みを見失ったりして、もっと恐ろしいことになってしまうことを彼は自覚していました。
 彼は真夜中に目を覚ましてしまうことがあったようです。どうしてでしょうか。おそらく不安になったからです。彼は不安のうちに目を覚ましても、そこで神様に感謝しました。「あなたの正しいさばきのゆえに(62)」彼は感謝したのです。不安の中で神様を思い出し、その神様のさばきは正しいこと、神様が最善に導いてくださることに信じ、平安を得ました。そこで神様に感謝することができたのです。
 私たちを取り巻く現実や境遇は、なかなか変えられないものです。しかし、そんん中にあっても私たちは神様との関係のゆえに、平安を得、感謝することができます。神様のみおしえをしっかりいただくことによって、私たちはあらゆる境遇に対処する秘訣を得るのです。

【3】 地はあなたの恵みに満ちている
 みことばによる励ましを与えられながら、彼は与えられている神の恵みに気づき始めました。「私は、あなたを恐れるすべての人、あなたの戒めを守る人たちの仲間です(63)」。彼はここに来て、仲間たちの存在を意識しています。彼は一人で孤独な闘いを強いられているわけではありませんでした。彼と同じように神を恐れ、神の戒めを守る仲間たちの存在によって彼は支えられていたのです。
 さらに、そのような恵みを意識する中で、彼は神様の恵みに向かってさらに開かれていきました。「主よ、地はあなたの恵みに満ちています(64)」。空も海も、宇宙の星たちも、動物たち、鳥、魚たち、植物たちなど被造物はみな、神の恵みで満ちています。人間だけが恵みを見失い、思い煩っていたのではないでしょうか。しかし彼はみことばの導きの中で神の存在を意識し、恵みに開かれていったのです。

【4】 むすび
 主なる神様は私たちへの「割り当て」です。私たちの霊的、精神的、肉体的、経済的な必要を満たしてくださいます。神の恵みはいつも豊かに注がれているのです。
 しかし、その恵みを見えなくさせてしまう障害が、この世には多くあります。私たちの不信仰、弱さ、罪深さ、厳しい境遇、さらに悪しき者の存在のゆえに、私たちはみことばからすぐに引き離され、神の恵みを見失ってしまうのです。
 詩篇119篇の著者のように私たちは、みことばを守る必要があります。みことばを忘れずに、みことばから離れずに、みことばにしっかりととどまり、そこで示されている神ご自身を仰がなければなりません。その時に、この地は神の恵みで満ちていることに私たちは気づかされていきます。
 どうか曇ってしまっている私たちの霊の目を主が開かせてくださいますように。私たちに日々注がれている神の恵みを、私たちが日々覚えながら、平安と感謝の歩みへと導かれますように祈ってまいりましょう。